トラウマを癒やすのに必要な感覚
前回のブログで取り上げた「夜明けまえ、山の影で」 。 著者のシルヴィアは、性虐待や性被害を受けた仲間とともに、エベレストのベースキャンプを目指して歩いていました。 ベースキャンプでも標高は5,000m超。 高度順化のために何日かかけて歩いていくその途中、エベレストの頂が見えました。 私たちは黙ったまま、しばらくエベレストを見つめていた。 「お母さんみたい」ヒメナ(※参加者の1人)が小さな声で言った。 エベレストを見るとき、なぜささやき声になってしまうのか、私にはわかる。 圧倒されるからだ。自分の小ささを知り、自分が、自分よりもはるかに大きいものの一部であると感じる。自然を通してトラウマを癒やすのに必要なのが、この感覚だ。 この感覚は、自分でじっさいに経験してみないとわからない。トラウマはスプーンで簡単にすくって取り除けるようなものではない。あなたの中に巣くい、悠然と、ときに静かに、いつまでも居すわる。そしていつだって、ほんの一瞬で、あなたを破壊する力をもっている。 (p.144) 「大いなるもの」を感じる体験。このようなスピリチュアルなイメージや感覚は、心理療法ではとても意味深いものです。 大木。満点の星空。広がる大地。 日本のクライエントさんからは大自然が現れますが、海外では神が浮かぶ方もいるそうです。 私が初めて2,000mを超える山を登ったのは中学生の時でした。 苦しい登り道をただひたすら歩いて辿り着いた山の頂。 そこからはるか下方に、当時住んでいた街の灯が小さく瞬いていました。 あんなにちっぽけな瞬きに自分は暮らしていたのだ その時に感じたものは、私の表現力では言い表すことができません。 でも今もありありとあの灯が思い出されるのは、私の中に表象として残り続けているから。 思い出さなくても、私を支えてきた場面の一つなのでしょう。 今年の北アルプス 高所登山は、気軽にできるものではありませんが、「おおいなるもの」はあらゆるところに存在します。 誰もに「おおいなるもの」との出会い、つながりが、意味あるものとして存在することを願います。