いじめられ経験の私を救い出す
子ども時代にいじめられたことがある方は、決して少なくないと思います。
私も、継続的であったり、大ごとになるまでではありませんでしたが、少なからずいじめの経験があります。同級生からも、先生からも。
嫌な感覚がよみがえるような出来事もあれば、「なんやの、あれ!」と相手を一笑に付せるぐらいの出来事もあります(私のストレートな感覚ではこの大阪弁なのはご容赦ください~!)。
いじめは、その時に辛かったり孤独だったりしただけでなく、多くの人に、その後の人生にも影響を及ぼす、とても強烈なトラウマ体験です。
さまざまな感情がひきおこされるような記憶ですし、身体的にもその記憶は残っていることが見られます。
身体には、無自覚な緊張感があったり、ちょっと硬直したような感覚や姿勢が現れたり、地に足があまりついてないようなフワフワした感じがあったりするかもしれません。
感情や行動では、対人関係での不安、自分への自信のもてなさ、距離をとって人と接していたり、逆に過剰に笑顔やフレンドリーさを維持していたり、
何より強烈なのは、自分自身に対する恥の感情です。
「いじめられていた自分」「いじめられるような自分だった」というような、自分自身の存在価値に関わる感情はとても強烈で、そのために、当時も、家族や先生、信頼できそうな友人に打ち明けることが難しかった人は多いと思います。
このような恥の感情はあまりにも強烈なので、私たちは普段、記憶に蓋をしていたり、覚えている出来事を遠くから眺めるような感じで語ったりします。
こんなふうにある程度「距離」をとって痛みの記憶に触れないでいられていること、
それは自分を守るすばらしい力です。
一方で、今の自分の、人間関係の難しさやしんどさ、気分の落ち込みなどに影響があるのではないかと感じているならば、
記憶を遠くに閉じ込めてきた力を尊重しつつも、あの時に辛かった自分を救い出しに行く時が今ようやくやってきてくれたのかもしれません。
あの時の、出来事の大小は全く関係ありません。
出来事が些細なことだったとしても、自分の中で残る衝撃は大きいということは普通にありますし、おかしなことでもありませんし、何より、それは自分のせい、自分の弱さや不甲斐なさのせい、なんてことは全くありません(強調しておきます!)
それはあくまで、神経系の反応であり、その反応の記憶なのです。
カウンセリングで行うのは、「これはあなた自身の人格とは何の関係もない」ということを明確にしながら、一緒に、神経系の反応を見ていき、一緒に、安全で安心できる感覚を確かめていきます。
その上で、あの時のあなたを救い出しに行く。こういうプロセスを行います。