安心が怖い
安心、リラックス、楽…
こういう感じを、深く深く感じたいというのは、誰もが心の底から願っていることではないでしょうか。
「安心」のタネは、お母さんのお腹に宿ったときに撒かれます。
お腹から出てきてからは、育ててくれる大人がたくさんの「安心」をくれることで、安心の感覚を身体が覚えていきます。
成長するにつれ、言葉でのやりとりも「安心」を確かなものにしていきます。
こういう経験の積み重ねによって「安心」のタネは育っていくので、これらが十分・適切になかったならば、安心を感じることが難しいと感じられるでしょう。
十分・適切になかったというのは、逆に言えば、危険な状況や、大丈夫かもしれないけれど先が見通せない不確定な状況の中にいたことが多かったということです。
そうすると、いつも緊張感を保っていなければならない状態になります。そうしなければ、周りの人や状況にすばやく対処できないですから。
緊張感を常に保っていると、それを緩めるのは怖いですし、不安です。
緊張感を緩めていいことがなかった経験があるほど、その恐怖や不安は大きくなります。
安心を感じるのが難しいのは、こういう背景があります。
安心を感じたい。でも緊張感を緩めるのは怖い。
これは、よく見られることです。
安心と緊張という両極端の拮抗の間にいるのはとても辛いので、たいていは慣れ親しんだ緊張状態へ自分を持って行きます。
そうすると、困惑や絶望的な気持ち、自分はダメだ、というような気持ちになったりします。疲労困憊で、救世主のような人が現れること、突然人生が変わるようなことを求めたい気持ちになったり。
こういうこともごく普通で、ごく自然なことです。
安心の体験は、まず、ほんのちょっぴりから始めるのをお勧めしています。
世界が変わるような深い安心やリラックスではなく、「え?」と思うぐらいの小さな小さな安心。
そんなちっさい経験だと深い満足感がないんですけど(笑)、でも、緊張に満ちた心身は、そのくらいだと道を譲ってくれるようです。
誰でも皆、「安心のタネ」を持っています。
安心のタネはいつでも芽吹くのを待ってくれています。
一気に成長させ、花を咲かせるのではなく、ゆっくりでも確実に、タネの育つペースのままに、安心の体験を積み重ねていく。
安心は、こうやって「慣れ」ていくことができます。