感情を感じるのは心?
イギリスで演劇を学んできた人から、演劇で感情を表現する時のことを教えてもらったことがあります。 例えば「悲しみ」の場合だと、悲しい気持ちになるというのではなく、まず、悲しい気持ちになる時の身体の反応や状態になる、すると悲しみの感情となる、ということだったと思います。 私はまだ心理職への転職を考えてもいなかった、ずいぶん前のことです。 演劇に特別の興味があったわけではありませんでしたが、今も印象に残っているエピソードです。 「悲しみ」を感じる時は、例えば 胸がキュッと詰まるような感じ、 胸から鼻にかけてツンとくるような感じや込み上げてくるような感じ、 口元に力が入らない感じや、逆にグッと噛み締めるような感じ、 背中が重くなったり、胃がキュッとなったり 「悲しみ」の質によっても身体の状態は違うでしょう。 静かな悲しみなのか、慟哭なのか。 常につきまとうような重い悲しみなのか、はかなさのような感じなのか。 朝露がキラキラ 「悲しい」は気持ちで、それは心で感じるもののように見えますが、こうしてみると、身体から生じてくるもの、身体に起きていること、身体で感じているものだとわかります。 身体論や脳神経科学の分野でも、身体で起きていることを知覚し、それが記憶されているパターンや感情を表す言葉と結びつくことで「感情」として体験されると考えられています。 例えばまだ言葉を十分獲得していない小さい子どもが泣いているところで、親が「悲しいね」と声をかけることで、胸がギュッとなって、涙が流れているこの身体の状態は「悲しみ」なのだとつながっていく、というような。 そうすると逆に、気持ちをしっかりと感じるには、身体が十分活きている、十分スムーズで“やわらかい”必要があることになります。 筋肉の柔軟性というような意味ではなく、身体に任せられるような”やわらかさ”。身体には確かに起きている微細な現象を感じられるような”やわらかさ”。 こういうアプローチは、心理療法に限らず、むしろ身体のワークの方が近道である場合もあります。 感情についてのテーマといっても、「心」理療法が第一選択というわけではなく、いろいろな側面からアプローチしてみることができます。