回復のための物語を織る
たくさんの禁止のメッセージによって、自分がどうしたいかわからなくなるだけでなく、嫌悪感が自分自身に向かい、自分を恥ずべき存在で無価値だと感じるようになるということについて、前々回、前回書いてきました。
前回の最後、コメディアンのハンナ・ギャズビーが、こんなふうな深い傷つきからの回復に必要なのは笑いや怒りではなく、物語だと言っています。
物語には笑いや怒りもあるはず。
でも回復に必要なのは、その笑いや怒りの感情や体験自体ではなく、それを通して物語っていくことです。
自分自身の物語。
それは、世界との関りの中で紡がれていきます。
語る人がいて、聞く人がいる。
聞いていた人が語り、語っていた人がそれを聞く。
物語はこうやって、一人ひとりの中に織られていきます。
「ムーミン谷の夏まつり」では、ムーミンパパが作った脚本での演劇が始まりましたが、当初予定していなかった人たちや観客がどんどん舞台にあがっていき、劇が「劇」じゃない方向へ展開していきます。
これは即興「劇」になってしまったようでいて、生活や人生は「舞台」そのものであり、そこで繰り広げられることは「劇」そのものだということを表しているようです。
こんなふうにもともとの脚本がどんどん変化していったのは、突然加わった人たちとの展開。
人々とのやりとり、反応、そういったものが、「劇」をより面白く展開させていっています。
回復のために必要な物語は、どんな場や、どんな方法でもできます。
家族や友だちの間で。仲間との中で。たまたま集った人との間で。
当事者グループは、物語を比較的安全な方法でつくっていく場です。
私も以前にこういう場・時間を持ったことがあり、物語が、ゆっくりじんわりと紡がれていくことの大きさを知っています。
カウンセリングは、自分の周りの人との間で行うのには不安だったり、難しいときに利用すると良いのだと思います。
自分とカウンセラーという、とても小さな枠の中で、カウンセラーは、織機の縦糸のような存在としてイメージするのはどうでしょうか。
ピンと張られた縦糸。それはいつも同じ状態でそこにあります。だからそれを気にすることなく、自分のペースで、自分の入れたいように横糸を織り込んでいく。
こうして自分のリズムやペースがつかめていくなかで、きっと自分だけのすばらしい織物が出来上がっていきます。