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心理療法における「非暴力」について考える②

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暴力の本質である「支配とコントロール」。 心理療法における非暴力の実践は、支配/被支配、コントロールする/されるという関係にならないようにすることを意味します。 また、そのような関係性の現れにフォーカスを当てて、それがどんなふうに影響を及ぼしているかということをテーマとして扱っていきます。 心理療法における非暴力の実践について、三つの層から見て行きたいと思います。 今回はそのうちの一つをとりあげます。 ハート型のシミをみつけました 心理療法は、クライエントとセラピストの二者関係において行われます(それぞれが複数の場合も含みます)。 立場がはっきりしてる心理療法という関係性において、支配とコントロールは、悪質な形でも善良な形でも現れます。 悪質な形がどのようなものかは想像がつきやすいと思います。 セラピストが酷い言動を行ったり、気分によって態度が変わったり、クライエントさんを「下」に見るような態度であったり、セラピストの意向でセッションを進めようとしたり。 一方、善良な形は、あまりピンとこないものです。 セラピストは心理療法の“専門家”なので、習得した知識やスキルを提供しますが、その提供内容が例え「正しい」ものであっても、提供の仕方によっては不適切になりえます。 「あなたのためを思って」となされる言動が、決して「私のため」ではないのと同じで、提供するプロセス自体に非暴力の実践が求められます。 提供する知識やスキルは、クライエントさんが求めているものかどうか、 クライエントさんに、それを検討し、選択するプロセスが十分あるかどうか、 クライエントさんにはNOを言えるプロセスがあるかどうか。 こういう点は、心理療法ではあいまいになりがちです。 その背景は次の記事で書きたいと思いますが、クライエントさんご自身だけでなく、セラピストにとっても、あまり気づけないままに進んでしまうことが比較的簡単に起きてしまうからです。 「良いこと(あるいは、効果があると実証されていること)」は行ってもよい、問題はない、明白だ、ということには、注意して意識を向けにくいためです。 でも、誰が、何が、「良いこと」だと判断したり、実感するでしょうか? なぜそれが「良いこと」なのだと判断できるでしょうか。 心理療法における非暴力の実践とは、ここにフォーカスを当てることではないかと思います。 それは本当に良...

心理療法における「非暴力」について考える①

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現在トレーニングを受けているセンサリーモーター・サイコセラピー(SP)という心理療法には、6つの原則があります。 原則とは、セラピーのための哲学的、精神性の基盤です。 その1つが「ノンバイオレンス(=非暴力)」。 (他は、有機性、ユニティ、ホリズム、マインドフルネスとプレゼンス、対人関係の錬金術、です。) 非暴力を心理療法において明確に打ち出していたのは、私がこれまで受けた心理療法の研修やトレーニングでは初めてでした。他には、SPのルーツであるハコミ・セラピーも非暴力の原則を掲げています。 「非暴力」は、「不服従」と併せて、ガンジーの実践としてまず思い浮かぶのではないでしょうか。 暴力や戦闘によらずに、支配者を倒し、体制を変革しようとした運動です。 では、心理療法における非暴力とは何か? セラピストが、クライエントさんに害を及ぼさないこと、例えば身体的な暴力は言うまでもなく、言葉による攻撃も含め、当然、セラピストが行ってはならないことです。 無意識の偏見に気づかずにその偏見をクライエントさんに出してしまっていることも、広い意味での「暴力」に含まれます。 ですからセラピストは自身の内省やセッションへの責任が必要です。 今年の梅酒 青梅がキレイです 心理療法における非暴力を、さらに広げて考えてみたいと思います。 ドメスティック・バイオレンスの問題の本質を表す上で、暴力とは、支配とコントロールであるということがはっきりと打ち出されました。 あらゆる「暴力」は、それがどのような形態で行われるかに関わらず、支配とコントロールが目的であり、また結果であるというものです。 つまり、他者などへの攻撃、侵入、侵害などのような直接介入的な行為だけでなく、二人の間の力関係があるときに、一見正しそうに見えたり、親切に見えたりするような行為にも、一方から他方への“コントロール”が潜んでいて、その背後に支配とコントロールへの欲求が隠れていることがありますし、あるいは、結果として支配とコントロールの関係になるということもあります。 このような支配とコントロールの関係性は、二者間に起きるだけでなく、家族などの小集団や職場、コミュニティで、そして社会構造としても存在します。 また逆に、社会に組み込まれている支配とコントロールの構造が、個人のレベルにも及んできます。 このように、世界で起こっていること...

効果的なセラピーのために ④心理療法の支えになるもの、効果へ良い影響をもたらすもの

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前回「 ➂クライエントさんの側面 」では、クライエントさんが自分の状態へ注目することがどのくらいできるかによって、カウンセリングの効果や速さに影響があるということについて書きました。 「自分の状態へ注目する」というのは、感情や感覚や考えが起きているときに、それに気づいていて、それを観察するということです。 これについては以前のブログでも取り上げました。 「 マインドフルネスはPTSDに禁忌か? ② 」 注目する 気づく 観察する これらがわかってきて、できるようになってくると、カウンセリングはグッと進みやすくなります。 そのためにできることとして、 ①理解する ②気づきの練習 があります。 ①は、 「コレモ(コミュニティー・レジリエンシー・モデル)」のウェブサイト で、無料の動画があり、とてもわかりやすいのでおススメです。 また、「『今ここ』神経系エクササイズ」もとってもわかりやすい本です。本には、②気づきの練習もあります。 ②は、神経系的な側面、身体的な側面、認知的な側面、これら全体的なやりかたがあります。 神経系的な側面の練習は、コレモの動画や「今ここ神経系エクササイズ」が安全でわかりやすいと思います。 身体的な側面では、ヨガ、アレクサンダー・テクニークや、フェルデンクライス、日本発祥のもの、他にもたくさんあります。 キーポイントは、身体を動かしたり触れたりして、それを観察するというタイプのものです。 認知的な側面では、ジャーナリング(感情や考えの日記)が代表的でしょうか。 全体的なやりかたでは、マインドフルネス系の集中トレーニング(MBSRなど)、ヴィパッサナー瞑想、自分自身の内側にあるさまざまな自分を観察する「パーツワーク」などがあります。 こちらの本は、世界中で高く注目されている心理療法の一つである内的家族システム療法(IFS)の本で、パーツワークのエクササイズも記載されています。 いろいろご案内しましたが、日常の中で、ふとした時間にすることも十分可能です。 食事をしているときの、味や香りや触感などを、ちょっとだけ時間をとって感じてみるとか、 考えがグルグルしてしんどくなってきたときに、同時に姿勢はどうなっているかな?と注意を向けてみるとか、 空を見上げて雲が目に入ったときに、どんな感覚がしているかな?と観察してみるとか、 こんなふうに、日常の中で、いつで...

効果的なセラピーのために ➂クライエントさんの側面

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心理療法が「効果」を発揮していくところには、3つの要素があります。 他者(カウンセラー)との関係に対して不安がなく、オープンになっていること 自分自身に起きていること、感情や感覚、思いに対する気づきや興味をもち、それをやや客観的にとらえること セラピーに対する目的や希望に対して主体性があること …なんですが、でも、これらが心理療法を受ける目的そのものですよね。 この3つのことに困難や不安を感じていたり、これらへの難しさがさまざまな問題や苦しさをもたらしているわけですから。 初めて会う他者(カウンセラー)に対して、最初から安心してオープンでいられないのは当然です。 日常会話とは異なる心理療法。でも何をするのか、どんなふうに話をしていくのか、わからないし、不安に思いますよね。 「楽になりたい」などといった希望は浮かびやすいですが、その「楽」な状態を経験したことがなければ、ゴールは霧の中のように感じるでしょう。 比較的重度のケースを長期にわたって取り組んでいる12人の熟練のセラピストに対して行われた研究によると、膠着状態に関連しているクライエントさんの側の要素として、「病理の重さ」と「それまでの人間関係上の問題」があげられています(Hill, Nutt-Williams, Heaton, Thompson & Rhodes, 1996)。 つまり、より短期間で、より深い効果を感じられるかどうかについて、クライエントさんの側のこのような要因も影響するというように解釈することもできます。 これはかなり前の論文ですので、近年言われているところでは、外受容感覚(自分の外の刺激に対する知覚)と内受容感覚(身体内部の感覚への知覚)の感度や正確さに関わる要因もあります( 福島, 2019 ) 。 他者(カウンセラー)との関係への不安や緊張感が強い傾向があり、苦しい感情や思いの渦の中にいて、何とか楽になりたいと望みつつも、それがどういうことかイメージしにくい… こういうことが強かったり大きいほど、心理療法をより細かく、より丁寧に進めていくことになります。 このようなことが、心理療法の全体流れにおいて、どのようなことを意味するのでしょうか? 心理療法は、大きく分けて3つの段階があります。 1つ目は、安定化の段階。 現在起きている問題や状況・状態について、「なんとかなっている」「大丈...

効果的なセラピーのために ②セラピストの質―2

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カウンセラーの質について、 前回のブログ で3つの点を取り上げました。 この3つは相互に関連しています。それぞれが、他の点として考えるものでもあります。 例えば1つ目の「心理療法の技術が十分であること、それが学術的理論に基づいていること」は、2つ目の「倫理」的であるということでもあり、また、3つ目の「相性」を調整し、つくっていく作業プロセスです。 このことについて、もう少し詳しく述べます。 心理療法は、知り合いとの雑談や悩み事相談とは異なり、セラピストが発する言葉一つひとつ、セラピストが話している内容や提示したこと、その話し方など、全てが学術的な理論に基づいて行われます。 ですので、セラピストの応答や態度に疑問を持ったり、不快な気持ちになったときだけでなく、ふと興味をもったときでも、「なぜそれを言ったのか、したのか」と質問してみることで、「セラピストの質」を判断できる場合があります。 セラピストの言動が意識的であれ無意識なものであれ、セラピストは自身の言動を説明することができるか、説明できない場合でも、説明できない理由を説明する必要があります。 セラピストの説明や態度に納得がいかなかったり、よくわからなかったら、もう少し質問を続けてみてもよいでしょう。 そのような質疑のやりとりを通して、「相性」を判断していくことができます。 またそのようなやりとりのプロセスを通して、関係性の調整が進んでいくはずです。 このような関係性の調整のプロセスに3つ目の「倫理」が関係します。 明らかに害を及ぼすような言動はもってのほかですが、モヤモヤするけれど倫理的に問題のある言動かどうかを判断しづらいことのほうが多くあると思います。 セラピストが、クライエントさんの質問に対して誠意をもって答えているか、セラピストが自省や反省ができるかどうか、自身を修正しようとする姿勢があるかどうか、 セラピストへの質問を通して判断していくことができるでしょう。 とはいえ、こんなふうにセラピストに質問することはそれほど簡単ではありません。 私自身も、「そんな簡単じゃない~」と強く感じますし、これまでも今も経験していることです。 そこには2つの背景があると考えます。 1つは、対等な関係性の経験です。 相手がどのような立場の人であれ、お互いにそれぞれの思いや考えがあることを尊重し、相互的、双方向的な会話をする経...

効果的なセラピーのために ②セラピストの質―1

次に、セラピストの質について取り上げます。 「質」は、3つが挙げられます。 ① 心理療法の技術が十分であること、それが学術的理論に基づいていること ② 倫理を遵守していること、重視していること ③ 相性 ① は、基本として、資格保持者であることが重要です。 国家資格である公認心理師以外に、いくつかの民間資格があります。代表的なのは臨床心理士です。 心理業務の資格はたくさんありますが、資格認定する団体が、公的な団体や学術的な団体かどうか、その団体が倫理要綱を持っている、といった点が判断基準になるでしょう。 資格取得まで、また資格取得後も、適切十分な知識と技術の維持、向上を求めている団体かどうか、資格認定団体のウェブサイトで確認したり、直接セラピストに確認できます。 倫理観を持ち、倫理的にセラピーを行っていくことは最重要です。 ②は、公認心理師であれば法令があり、他の資格でも、それを認定する団体が倫理規定を設けています。 倫理については、 以前のブログ で書きましたので、こちらも参考にしてください。 社会構造的な問題の中で育ち、教育を受けてきている以上、無意識の差別や問題行為がない人はいません。心理職も同様です。 しかしそのような問題行為を行ったとき、起きたときに、自らを振り返り、問題に気づき、修正しようと努めることが心理職には強く求められています。 ➂相性は、判断が難しいかもしれません。 こちらも以前のブログで書きましたので、リンクを置きます。 「カウンセリングが合わないと感じたとき」 「カウンセラーとの相性についての再考」 以上を踏まえて、クライエントさんにとって判断しやすいポイントとしてまとめてみます。 1)変化が起きているかどうか 変化や変化への期待を感じられなければ「質」は不十分かもしれません。その変化は、1回では感じられないかもしれませんが、数回たっても感じられないようだったら、セラピストに確認できます。 それに対して、納得がいかないとか、ピンとこないようだったら、そのようにセラピストに返すことができますし、そこで中断を判断してもよいでしょう。 心理療法における「変化」はいろいろな側面があり、また、ある程度長い時間をかけて「変化」を進めていくタイプの心理療法もあります。 クライエントさんの状況・状態によっては、例えば虐待等による影響が深く残っ...

効果的なセラピーのために ①心理療法の選び方―2

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前回、心理療法は大きく5つに分けられると書きました。 ですが、200以上もある心理療法がこの5つのどれかに分類されているわけではありません。 また大きく5つに分類しているのは、心理療法が開発された歴史的な経緯、理論的展開をふまえた大きなカテゴリであって、それぞれの中にも様々な療法やタイプがあります。 心理療法の選び方として、前回のブログに書いたように、心理療法の種類による選択と、問題やテーマから選ぶやり方がありますが、別の視点からの選び方を提案してみようと思います。 1.セラピストと話(会話)をするかどうか 心理療法は、大きな前提として「セラピストと話をする」というものですが、「話をする」も、こんなふうに分かれます。 ①話をしないことも可能 ②エピソードや自分のことについて話をする ➂話をするが、エピソードや自分のことについて話をしなくてもよい ドラマや映画では②の場面が多いのですが、心理療法は決してそれだけではありません。 話をすることへの不安や抵抗がある場合は、①を選ぶとハードルが低くなるでしょう。芸術療法や身体面を扱うタイプの心理療法などがこれに当たります。 逆に言うと、心理療法で話を聴いてもらいたいかどうか、ということとも重なります。 特に話を聴いてもらいたいというわけではない、心理療法を受けて問題が改善されるなら、いろいろ話さなくてもよい →①または➂ 話を聴いてもらいたい。自分のペースで話したい →② 話をするのが苦手、不安、緊張する →苦手などが強い場合は①、何とかなる場合は➂ 2.セラピストにどういうことを期待しているか 次に、1と重なりますが、セラピストにどんなふうにしてほしいか、という点から整理してみましょう。 共感的に聞いてくれる、否定しない、サポーティブである、あたたかさや安心感を感じられるというのは共通するベースですが、セラピーの進め方のスタイルは次の3つのどれかが中心(メイン)になります。 ゆっくりじっくり話を聴いてほしい、私に合ったペースで会話をしたい 具体的な提案やアドバイスがほしい、一緒に考えてほしい 何らかの体験や作業をしてほしい これはセラピストによる違いというよりも、そのセラピストが行う心理療法の種類の違いによるものです。 3.入りやすいチャンネルは何か 人の体験をつくっている要素は以下のようなものがあります。 思考、認知(考...

効果的なセラピーのために ①心理療法の選び方―1

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心理療法は本当にたくさんあります。 英語のWilkipedia では200以上の心理療法が掲載されていますが、ここに載っていないものもあります(私が提供しているものでは、AEDP™はありましたが、センサリーモーター・サイコセラピーは掲載されていませんでした)。 こんなに数が多いため、心理士も精神科医も、すべての心理療法の訓練を受けることはできません。 その心理療法の公式機関による訓練を受けてきた心理療法、公式機関ではない、または公式の認定指導者ではない団体・個人が開催する研修に参加した程度の心理療法、見聞きしたことがあるだけの心理療法、そして、名前も知らない心理療法もあります。 一人の心理士や精神科医が熟知できる心理療法の数が限られるため、全ての心理療法の中から、クラエイントさんに最適な心理療法を提示・提案することは、現実的には不可能です。自分が十分知らないものを提案することはできませんので。 一方で、クライエントさんの問題やテーマは、セラピストが訓練を受けた心理療法でアプローチできる場合が多くあります。 ただそれが、クライエントさんが求めているアプローチかどうか、というのは別です。 こちらのサイト(英語) では、アメリカでは大きく5つのタイプに分けられると提示しています。その特徴を一言だけで表すとすると、下記のようになると説明されています。 精神分析/精神力動療法 → 無意識に焦点を当てる 認知療法(認知行動療法) → 考え方に焦点を当てる 行動療法 → 行動に焦点を当てる 人間性心理療法・パーソンセンタード心理療法 → クライエントの力に焦点を当てる 統合的心理療法 → その他(上記を統合したもの、そのどれでもないものも含む) 日本でも、心理士が行うのはたいていこの5つに分けられます。 アメリカでも日本でも、心理士はさまざまな心理療法の訓練を受け、いくつかをブレンドして提供していることが多いです。 日本の特徴としては、心理療法それぞれの認定機関の公式な訓練を受けていない心理士や、公式認定をもたない心理士のほうが多くいること、より現場に即した形で多様な心理療法の理論やスキルをブレンドして提供していることが多くみられます。 どの心理療法が効果があるのか、どのような問題やテーマがどの心理療法が適しているのかという研究は、これまでも行われてきました。 こちらのサイト(英...

効果的なセラピーのために 「はじめに」

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日本は心理療法に健康保険が適用されず、法・制度による補助もないため、利用料は残念ながら高額です。 1回の料金は3,000円程度から数万まで幅広いものの、金額と効果が比例するかどうかを事前に知ることはできませんし、実際、比較はとても困難です。 通常、心理療法は、1回や数回程度で終了したり、大きな変化や効果を実感しにくい治療法です。場合によっては年単位でかかることもあり、経済的・時間的負担は大きいというのが実情です。 利用者にとって手が届きにくいシステムになってしまっている背景事情についてはここではふれませんが、このような現状の中で、できるだけ費用を抑え、効果をなるべく早く感じられる可能性について考えてみたいと思います。 その要素として、次の4つに分けて整理してみます。 これら4つはどれも重要で、相互に影響しています。 これらについて認識し、意識し、取り組むことは、生活全体を安定した方向、よい方向、問題の改善につなげていく上で、大きな違いをもたらします。 ① 心理療法の種類の選択 ② セラピストの質 ➂ クライエントさんの側の要因 ④ 心理療法の支えになるもの、効果へ良い影響をもたらすもの ⑤ ゴールはどこか? これから順に取り上げて書いていく予定ですが、私が行っている心理療法を受けていただくのに直接役立つだけでなく、他の異なる心理療法を受ける際にも役立つような書き方にしていきたいと思います。 とはいえ、読んだだけですぐにその通りに進むことはないでしょう。 この内容を頭の片隅におきながらカウンセリングを選び、受け、 カウンセリングを受けている中でまた参照し、確認する、いうことを少し続けてみると、 よりしっくりくる心理療法やカウンセラーを選ぶことができ、 カウンセリングのプロセスは、軌道修正しながらもゴールに向かって進むことができ、 その進みはよりスムーズになっていきます。 クライエントさんにとって、安全で、セラピーがよい変化をもたらすものへと進んでいくために、どれも欠かせない要素だと考えます。

「私はHSPですか?」などについて考える大切なこと

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「私はHSP(非常に敏感)ですか?」 「私はAC(アダルト・チルドレン)です」 「夫は発達障害だと思います」 自分や周囲の人の精神的な状態や言動の特徴、困難な状態を、こんなふうに表現されることあります。 私は長くDV被害者の支援業務に携わっていたのですが、そこでも「これはDVですか?」と聞かれることが珍しくありませんでした。 自分や周囲の人に起きていることを一言で表すこのような用語は、上記以外にもたくさんあります。 メンタルヘルスに関して日本で一般的に用いられているものとしては、共依存、カサンドラ症候群、ボーダー(ボーダーライン)、空の巣症候群、トラウマ、最近だとコミュ障やメンヘラなどなど。 このようなメンタルヘルス用語は、それぞれの特徴的な点をまとめ説明するために精神科医や心理学者などのメンタルヘルスの専門家が提唱したものもあれば、一般の人から広まっていったものもあります。 しかし、そのほとんどは、精神医学で用いられる診断名ではありません。 こちらの動画は、このように人々が自分や他者を「診断」するようになった背景を二つ取り上げています。 ① 病院ではDSM(精神疾患の診断・統計マニュアル。現在は第5版TR)に基づいて診断が行われます。その診断基準の多くは、正常な(normal)行動の極端なものであり、そのため、正常かそうでないかという二者択一ではなく、その間にグレーゾーンが多くあります。 そのグレーゾーンにあたる状態は、状況や年齢(年代)によって、強く現れることが普通にあります。 ② ソーシャルメディアの広まりにより、専門家ではなく、専門の訓練も受けていないアカウントが、気楽に「〇〇とは」と発言し、そのアカウントに多くのフォロアーがいると、人々はそれを信じ、その情報が拡散されていきます。そうすると、人々はその用語を使って診断することに安心や心地良さを感じるようになっていきます。 自分に起きている困難や苦しみにぴったりくる用語を見つけた時、ホッとすることがあります。 自分の苦しみは自分のせいではないと思えたり、 この苦しみは自分だけではなかったのだと思えたり、 苦しみの理由がわかって安心したり、言葉にならなかったものに名前がついて安心したり。 でも一方で、気を付けなければならないこともあります。 他者に対してその用語が当てはまると思う場合や、 用語によっては...

クライエントさんの権利 ~カウンセリングで問題が起きた時に

この記事では、カウンセラーが倫理的な問題を起こした場合に、クライエントさんが対処できる方法を記載します。 心理療法はクライエントさんの秘密を守るため、逆に問題が起きても表面化が難しいという構造があります。 クライエントさんのプライバシーを守ることは、クライエントさんの安全を確保する上で最も重要なことですが、そのために、セラピーの場で起きたことも秘密にされてしまう危険性がクライエントさんの側にはあります。 また、カウンセラーとクライエントという関係においては、クライエントさんは「弱い」立場にいます。 カウンセラーが倫理違反行為を行っていても、それが治療の一環ではないかと思ったり、カウンセラーの心証を悪くしたくないという遠慮が働いてしまいます。 また、被害を受けてきたクライエントさんにとっては、そのような経験の影響で、我慢すべきことだと考えてしまうこともあります。 カウンセラーの行動が倫理違反行為なのかどうかを判断するのが難しいと感じる場合もあるかもしれません。 ブログでわかりやすく説明すべきかと思いましたが、倫理は幅広く深いテーマなので、簡潔にまとめることができませんでした。 私の資格に基づく倫理のガイドラインがありますので、そちらを提示します。 日本臨床心理士資格認定協会「 臨床心理士倫理綱領 」:臨床心理士の資格に携わる団体の倫理規定です 一般社団法人日本臨床心理士会 倫理綱領  :臨床心理士の職能団体が規定する倫理要綱です。 一般社団法人日本臨床心理士会「 倫理ガイドライン 」:上記の綱領に関するガイドラインです。 公認心理師法 :第40条~44条が倫理規定になります。 また、下記でも相談ができます。 消費者相談 :リンクは全国の消費生活センターを検索するウェブサイトです。 法テラス :各都道府県の弁護士会で法律相談があります 倫理違反は心理職の問題であり、それを訴えることができるのはクライエントさんの権利です。 ご自身の大切な時間と料金のために、被害の訴えはご自身の権利として尊重ください。

カウンセラーとの相性についての再考

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以前、「 カウンセリングが合わないとき 」というタイトルで記事を書きました。 同じ趣旨ですが、ちょっと違う書き方で取り上げたいと思います。 というのも、「カウンセラーとの相性」問題はとても重要だからです。 「 うつを生きる 」は、アベノミクスのブレーンでもあった経済学者の浜田宏一氏と小児精神科医の内田舞氏の対談本です。浜田氏は長らく躁うつ病を患ってきました。 こちらの本で、内田氏がこんなふうに話していました。 「心理療法は大きなカテゴリーとして認知行動療法と、力動学的心理療法に分けられます。それぞれに患者さんごとの向き不向きや、セラピストと患者さんの相性の良し悪しの影響はあるものの、どちらも効果はあります。」 これは一般的な見解ですし、精神科医らしい見解でもあると思いながらこの一言を読みました。 内田氏はアメリカで精神科医療を行っているそうですが、アメリカでも心理療法は、認知行動療法と力動学的心理療法に大別できないほど多種多様な心理療法があり、私が行っているような身体志向や体験的な心理療法も盛んにおこなわれています。 さらにそのような傾向もあって、認知行動療法と力動学的心理療法というような分類ではなく、統合的な心理療法へと発展していっているのが現在のトレンドのようです。 そのような中、「相性」は、心理療法として重要な要素として扱われるようになっています。 というのも、体験的な心理療法は、相性を合わせていくプロセスそのものが心理療法としての効果と大きくリンクしているからです。 これは「波長合わせ」といいます。 クライエントさんの体験が深まっていくプロセスでは、必ず、セラピストとの波長が合っています。逆に言うと、波長が合っていないときは体験が深まりません。 ですので、「波長合わせ」が、カウンセリングを開始した初期段階や、毎回のセッションでの初めの時間帯において必須になるのです。 それでも「相性」があるとしたら、最初から波長合わせがすんなり上手くいくクライエントーセラピストの関係性がたまたまあったということであったり、よりスムーズに波長合わせが起きやすいクライエントーセラピストの関係だったり。 そういう点では「相性」と言えます。 それでも「波長合わせ」は、数回のセッションを経て合ってきたり、しっかりがっつり合っていなくても、合っている瞬間が訪れたりして、次第に波長が合って...

カウンセリングでの「怒り」の扱い方

前回 の続きです。 「怒り」という言葉で感じられない場合であっても、身体にはしっかりと何かが生じています。 例えば、ほんの一瞬、わずかに、 筋肉が緊張したり、 胃がギュッとする感じが起きたり、 眉間に力が入ったり、 呼吸が一瞬止まったり、 というような身体の「反応」が起きていたり、 胸に「モヤ~」とか「ザワ~」という感じがあったり、 自分がその場から浮いていたり離れているような感じがあったり、 胃が重たい感じがしたり、 というようなイメージ的な感覚があったりします。 これらは一瞬で、微細で、ごくわずかな感覚であることもあり、 それを意識してとらえるのは難しい場合は多くあります。 カウンセリングでは、こういうわずかな感覚こそ注目していきます。 「身体―主体―私」の全体にとって大切なのは、身体、知覚すること、それが私であるということが、一連のものとして体験されていくことです。 そうすると、「私」は、このような身体の状態を「怒り」という言葉で表現するかもしれませんし、違う言葉で表現するかもしれませんし、言葉ではなくイメージを展開したり、身体の動きを伴っていったりするかもしれません。 「怒り」を身体の反応として見ていくと、「怒り」にまつわる不安や恐怖、恥、嫌悪感などを強く感じずに扱うことができます。 カウンセリングではこんなふうに「怒り」を扱うわけです。 ですが、それでも不安や恐れはつきもの。 次回はそれについて書きます。

切実な問いから始まる ~ハン・ガンさんのノーベル賞受賞スピーチから

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今年のノーベル文学賞を受賞された ハン・ガンさんの記念講演 は、彼女の作品を読んだ時と同じ、言葉の一言一言が全身に染みわたっていくような感覚でした。 心理セラピーは、物語と同じ「質」があると言われます。 ハン・ガンさんは、作品を創っていくとき、「問い」を立て、そこから物語が始まっていくそうですが、心理セラピーもまた「問い」によって始まります。 どうすれば私は苦しみから楽になれるのだろうか? この生きづらさを何とかするにはどうすればよいのだろうか? このような思いの中で、心理セラピーという方法へ手を伸ばしてくれた方が、クライエントさんとして訪れてきてくれるのです。 「引き換えにしてもかまわないと覚悟するほど重要な、切実な問いの中へ入っていき、そこにとどまるということ」 心理セラピーは、その問いが導いていく方へ共に進んでいく場であり、時間。 私が取っているアプロ―チの場合は、その道しるべやコンパスは身体。クライエントさんの身体が求めていることを、身体が示している方向を、クライエントさんと共に歩んでいく時間です。 「長篇小説を一つ書くたび、私は問いに耐えつつその中で生きる。問いかけの終わりに到達したとき──答えを見つけたときではなく──小説は完成することになる。その小説を書きはじめた時点と同じ人間ではいられず、書く過程で変形した私は、その状態から再出発する。次の問いかけが鎖のように、またはドミノ倒しのように積み重なって続き、新しい小説をスタートさせる。」 心理セラピーもまた、「終わり」は「始まり」。 始めたときの「問い」の終わりは、その答えがもたらされたという様相ではありません。 「問い」によって導かれていくなかで、「問い」を持っていた時の「私(クライエントさん)」は変容し、「問い」が「問い」ではなくなるような、「問い」もまた変容するような、そういう地点に辿り着きます。 そこは変容した「私」の、新しい出発のとき。 今回が今年最後のブログとなりました。 ここへ訪れて、読んでくださってありがとうございました。 来年もこんなペースで記事を書いていきたいと思います。 みなさまに良い年が訪れますように…。

いじめられ経験の私を救い出す

子ども時代にいじめられたことがある方は、決して少なくないと思います。 私も、継続的であったり、大ごとになるまでではありませんでしたが、少なからずいじめの経験があります。同級生からも、先生からも。 嫌な感覚がよみがえるような出来事もあれば、「なんやの、あれ!」と相手を一笑に付せるぐらいの出来事もあります(私のストレートな感覚ではこの大阪弁なのはご容赦ください~!)。 いじめは、その時に辛かったり孤独だったりしただけでなく、多くの人に、その後の人生にも影響を及ぼす、とても強烈なトラウマ体験です。 さまざまな感情がひきおこされるような記憶ですし、身体的にもその記憶は残っていることが見られます。 身体には、無自覚な緊張感があったり、ちょっと硬直したような感覚や姿勢が現れたり、地に足があまりついてないようなフワフワした感じがあったりするかもしれません。 感情や行動では、対人関係での不安、自分への自信のもてなさ、距離をとって人と接していたり、逆に過剰に笑顔やフレンドリーさを維持していたり、 何より強烈なのは、自分自身に対する恥の感情です。 「いじめられていた自分」「いじめられるような自分だった」というような、自分自身の存在価値に関わる感情はとても強烈で、そのために、当時も、家族や先生、信頼できそうな友人に打ち明けることが難しかった人は多いと思います。 このような恥の感情はあまりにも強烈なので、私たちは普段、記憶に蓋をしていたり、覚えている出来事を遠くから眺めるような感じで語ったりします。 こんなふうにある程度「距離」をとって痛みの記憶に触れないでいられていること、 それは自分を守るすばらしい力です。 一方で、今の自分の、人間関係の難しさやしんどさ、気分の落ち込みなどに影響があるのではないかと感じているならば、 記憶を遠くに閉じ込めてきた力を尊重しつつも、あの時に辛かった自分を救い出しに行く時が今ようやくやってきてくれたのかもしれません。 あの時の、出来事の大小は全く関係ありません。 出来事が些細なことだったとしても、自分の中で残る衝撃は大きいということは普通にありますし、おかしなことでもありませんし、何より、それは自分のせい、自分の弱さや不甲斐なさのせい、なんてことは 全く ありません(強調しておきます!) それはあくまで、神経系の反応であり、その反応の記憶なのです。 カウンセ...

味わう ~マインドフルネスはここにある

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細い道路沿いのコインパーキングに駐車しようとしたとき、車の前に小学1年生ぐらいの女の子が歩いていました。 その女の子がいたので、切り返しができずにいました。 大雨が降った直後。道路に水たまりができていました。 女の子の足が急に止まりました。 女の子は、一心に水たまりを見つめ、それから、そーっと足を踏み入れます。もう一方の足も、そーっと踏み入れました。 水面がかすかに揺れながら波紋が広がります。 この、たぶん時間にしたらほんの1,2分ぐらいの出来事。 女の子が体験していた世界が、それを見ていた私にも伝わってきました。 水たまりを見つめる集中した感覚。 ゆっくりと足を踏み入れ、靴が水に触れていく感覚。 それを受けて水が動きを作り出すところ。 靴が水に及ぼしているものが全身に広がっていく。 カウンセリングの中では、意図的に、このような体験の時間へと進んでいきます。 実際に周りにあるものを使ったり、イメージの中だけで進めることもありますが、 集中して、ゆっくりと、そしてとても繊細に丁寧に、自分の身体、自分の内側で起こっていることをみていきます。 たったそれだけのことなのですが、とても豊かな体験の世界がそこにはあります。 そこで体験されること、そして、体験することそのものが、多くのこと、必要なことをもたらしてくれます。 ですから、どんな体験も、どんなことも全て起こっていることには「意味」があるのです。 女の子が水たまりを味わったほんの1,2分ぐらいの時間ですが、この女の子にとって、これがこの時にとても重要なことだったように、 そしてそれを(たまたま)見ていた私にも「豊かさ」を一緒に味わえたように。 「味わう」。 女の子はぴょんと飛び出し、その後はもうすたすたと歩いて行きました。 きっと、女の子はこの経験は過ぎ去り忘れていくでしょう。 でも、このように経験したということ自体は、女の子の「生」に積み重なっていくものだと私は思います。 カウンセリングも、毎回毎回起きる「生」を積み重ねていくものです。

「それは身体の叡智です」➂ ~身体志向の心理療法の特徴とは?

ボディ・ワーク(オステオパシー)の体験から始めたテーマの3回目です。 身体に働きかける、身体を重要視するという点で共通するボディ・ワークと身体志向の心理療法。 さて、心理療法のもう一つの特徴とは? ボディ・ワークに限らず、気持ちの良いことや健康に良さそうなことを行ったり、服薬をしたりしたとき、効果や変化を感じる(あるいは感じない)、ということが起きます。 心理療法で注目するのは、このような「気づき」自体です。 効果や変化を感じる/感じないということに気づくというのは、そこに注意が向かう「私」がいます。 それはどんな効果(変化)なのか? 身体はどのようにその効果(変化)を私に知らせてくれているのだろうか? こういったことに、ゆっくり、しっかりと注目していき、自分なりの言葉で表していきます。 効果・変化に気づき、それに注意を向け、その感覚に留まってみると、感覚はより明確になったり、また新たな感覚が起きたりします。 そういう移り変わりもまた重要な体験。 体験し、気づき、それを味わい、その体験を言葉にしてみる。 言葉にしてみて、その言葉がしっくりときたら、それをまた体験していく。 これを繰り返していくと、不思議なことに、「全体性」のような感覚が生まれてきます。 そしてそこに、「私」の本質的な体験の感覚が存在します。 心理療法の特徴は、このように、注意を向けること、それを体験していくこと、言葉にすること、 この繰り返しによって、自己感の体験を深めていくところにあります。 人間は、大きな大脳皮質を持ったことで、物事を言語やイメージで思考したり、記憶するという点に、他の動物との大きな違いがあります。 身体志向の心理療法は、身体で起きる体験を深めていくと同時に、その体験を認識的にも深めていき、それらを統合するというのが特徴になります。

身体の症状と付き合う

少し前に、とうとう新型コロナウィルスにかかってしまいました。 発熱と独特のしんどさが過ぎ、症状がようやく治まって回復した後、就寝中に、言葉では表現できない「妙」な感覚で何度も目が覚めてしまうという後遺症状?が出ました。 震えのような、身体がモヤモヤしたような、とても不快で耐え難い感覚。 寝たいし、この感覚は不快だしで、身体に緊張感が走ります。 何とかなくならないか…と思うわけです。 それで身体を動かしたり、さすったり。 でもふと、この「妙な感覚」に主導権をあげてみよう、という思いが出てきました。 あんまりにも妙なので、「この感覚は何がしたいんだろう?」というようなことを思ったわけです。 主導権を渡すというのは、実は結構難しいです。 自分に力が入っているのはわかりますし、どうしても「妙な感覚」のほうを追いやりたくなるので、入っている力を抜くことができません。 ですので、入っている力もそのまま、また「妙な感覚」もそのままにしてあげるよう意識を向けました。 「私が何とかしよう」というような意識ではなく、「妙な感覚」の微細な動きに興味をもって注目するような感じです。 「妙な感覚」とそれに抗いたくなる力とが拮抗している間がちょっと苦しかったのですが、その拮抗の山を越えると、「妙な感覚」がそのままでいる感じがしてきました。 そうすると、「妙な感覚」は不思議と自由になり、私の身体を通って抜けていき、スーッとなくなるのです。 「妙な感覚」は、その後数日続きましたが、コツをつかんだので、毎回拮抗の山を越えるまでちょっと四苦八苦しながらも、「妙な感覚」が自由に動けるようにするよう意識を向けました。 そのたびに、「妙な感覚」はスーッと通り抜けて行っていました。 ここで書いたことは、身体症状に対する対応や治療というような対処法的なことではなく、むしろその逆です。 ・興味を持つ ・その感覚や部分の好きにしてもらう/したいようにしてもらう ・その感覚や部分と一緒にいる どちらかというと受動的であるがまま。 このような自分のありかたは、心理療法で心にアプローチするときと同じです。 心理療法は身体症状を治療するものではありませんが、身体症状と自分との「付き合い方」へ取り組むことができます。 上に書いた「妙な感覚」を、「辛い気持ち」「怒り」「深い悲しみ」などに置き換えてみてもらうと、「付き合い方」は...

よい感覚に留まる30秒

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カウンセリングセッションの中では、さまざまな感覚や感情が起きます(そのように進めていく心理療法のスタイルで行っています)。 カウンセリングに来られる方は、辛い気持ちや苦しい気持ちがあって、それを何とかしようとアクセスされるので、そういう「ネガティブ」なほうの気持ちは、比較的すぐに現れてきやすいのですが、 私が行っているアプローチでは、「ポジティブ」なほうの気持ちも同じくらい、 いえ、むしろ積極的に重視します。 ポジティブな気持ちとは、 満たされている感覚 誇らしさや自信、力強さ あたたかさや優しい感じ 大丈夫!とかホッとする安心感 これでいいのだと肯定する気持ち パワーやエネルギーの感覚 などがあります。 このようなポジティブな気持ちが現れてきたときはビッグチャンス! 私は逃しません(笑)。 その「よい」感覚や気持ちを味わったり、ただそのまま体験することを提案します。 「よい」感覚や気持ちは、必ず私たちの力の源になるからです。 この源をしっかりつくることや、力をいつでも感じたり使ったりすることで、「ネガティブ」なほうの気持ちも、より対処しやすくなっていきます。 また、良いものも良くないものも、全て自分の中で大切にしたり、自分のものとして統合していくことへつながっていきます。 ところが、ポジティブな感覚や気持ちを存分に味わうことが苦手な方は少なくありません。 良い感覚・気持ちをそのまま感じてみてください、と伝えると すぐに不安がもたげてきたり、いろいろな考えが頭に浮かんできたりして、 良い感覚・気持ちがあっという間にどこかへ行ってしまうということはよくあることです。 それは、慣れていないから。 あまり知らない感覚や気持ちが起きると、たとえそれが良いものであっても、「いつもの自分の状態ではない」ということが不安を引き起こすのです。 そして「いつもの自分の状態」に戻すように、身体や心が反応していきます。 それで、セッションでは「30秒味わってみませんか」と提案します。 たった30秒! でも、ちょっと数えてみてください。意外と長いんですよ~。 慣れていないと、30秒は長すぎて苦痛になったりします。 そういうときは10秒から。 そうして少しずつ慣れていって、30秒どころか、「良い感覚や気持ち」が満足するまで、「良い感覚や気持ち」が自然に進んでいくままに、好きなだけたっぷり味わ...

カウンセリングの頻度②

以前にも 同じテーマでブログ を書きましたが、頻度や回数について追記します。 前回のブログで書いたのは、頻度や回数について特に希望がない場合でした。どんな点で頻度や回数を決めたり、イメージすればよいか、です。 ですが逆に、「〇回で」とか、「1か月以内で」などのように、カウンセリングの頻度や回数、期間について、クライエントさんのご希望や状況がすでに決まっている場合はどうでしょうか。 私は基本的にはどのような頻度や回数でもお引き受けしております。 ですがそこには自ずから「制約」があります。 というのも、「頻度や回数」などは、あくまで現実的な状況による条件なのですが、「こころ」がそのような現実状況に合わせてくれるかどうかというと、それはやはりちょっと無理があるからです。 「こころ」は、現実生活や頭で考えていることとは全く別の世界にあります。 だからこそ「頭ではわかっているけれど」気持ちは辛いとか、気持ちはうごかない、ということが起きますし、それこそが「こころ」らしいありようです。 とはいえ、やはり現実的な条件や制約がある、ということはクライエントさんにとって切実なことだと思いますので、その条件や制約の中で進めていきます。 その場合は、 ①まずは問題となっている心理的なテーマについて明らかにしたり、整理する ということが、比較的短期間・少回数でも終了しやすいです。 心理療法はここからさらに、このようにして浮かび上がってきたテーマを全体的に深めていく作業を行うものなのですが、ここまででも、自分自身について理解が深まったり、以前とは違った見方ができたりするので、一旦はここで終結、ということが可能です。 ②ここからはクライエントさんとの協働作業になりますが、ちょっと勇気を出して、新しいことに挑戦してみることもできます。 私はセッションの中での体験的な作業を行うタイプの心理療法を取り入れていますので、感情や感覚の変容的な体験を進めていきます。 通常だとこの作業は不安や葛藤も大きくなるので、試行錯誤の期間が長くなる場合がありますが、 少ない回数や短い期間の中でも、いえむしろそのように限定された時間のなかだからこそ、クライエントさんの集中力が大きく発揮されることが多くあります。 この場合は、クライエントさんによって進め方を調整していますが、比較的説明を多く行いながら、なるべくクライエン...