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点と点は「つなぎ合わせる」だけじゃなく、「つながる」

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 スティーブ・ジョブズがスタンフォード大学卒業生に送った伝説のスピーチ、3つのテーマの一つ目、「点と点をつなぎ合わせる」をご存知の方も多いでしょう。 将来をあらかじめ見据えて、点と点をつなぎあわせることなどできません。できるのは、後からつなぎ合わせることだけです。だから、我々はいまやっていることがいずれ人生のどこかでつながって実を結ぶだろうと信じるしかない。( 日本経済新聞より ) 60歳代、70歳代のクライエントさんとのカウンセリングでは、これまでの自分の在り方や生き方に疑問を感じ、その苦しみや哀しみを語り、「残りの人生の私、その生き方」を見つめようとする、というテーマが多くあります。 老年期が視界に入ってきた私も、「将来」という時間軸への考え方や自分の在り方が変わってきたのを感じることが多くなり、 世の中にあふれる「未来」ではなく、「残りの時間」というような感覚や思索のほうが、私にはよりリアリティをもって感じられるようになってきました。 こういうなかで感じるのは、「点と点」は、つなぎ合わせていくものだというだけでなく、「つながる」ということです。 点と点をつなぎ合わせるという能動的な動きは、これまでの点をつなぐ力がついてくる年齢期であったり、 またあるいは、スティーブ・ジョブスのような、社会を変革するほどの能力をもった人がなしえることなのだろうと思います。 スティーブ・ジョブスのスピーチは大学を卒業する若い人たちへ向けたものですから、「今は点でいいのだ、後からそれをつなぐのだ」というメッセージは意味があります。 たいした「点」も積み重ねなかったなぁという後悔を抱え続け、数少ない薄い点でさえつなげていく力を発揮することもないままに中年期を生きている私が、 ビジネスやキャリアとは全く無関係なことも含めて、 これまでの「点」がふっとつながって、ただの点だったものが全く別の「点」として見える思いをすることが時々あります。 それは深い感慨を感じる体験です。 人生の「残り」に思いを馳せるクライエントさんたちとのカウンセリングで紡がれる物語は、点と点がつながっていくプロセス。 それはつなげようとしてつながるのではなく、意志とは離れたところで起きる現象です。 「つなぎ合わせる」は、きっと、達成感や自信、力を感じるような体験ですが、 「つながる」は、しみじみとした感慨や味わい、深

声を自由に出させてあげる

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今年の初めから、声を出すことを日々続けています。 話すのではありません。また、歌を歌うというのでもありません。 ただ声を出すこと。声が音になっていくこと。 最近のお気に入りはこちら。 「サレガマパダニサ」はインドの「ドレミファソラシド」です。 歌手でボーカルトレーナーのVarsha Singh Dhanoaさんに続いて、声を出していきます。 彼女の声の出し方は、ソフトで無理がなく、自然な感じ。 私は歌うことにあまり興味がなく、歌うこと、ハミングすることさえもほとんどありませんでした。 カラオケも、誘われれば行くという程度。お付き合いの範疇です。 でも歌を聴くのは好きです。気持ちよく歌っている人を見ていることや、その声を聴いていることが好きです。 なぜ歌わないのかを振り返ったとき、「音痴だ」とよくからかわれたことや、学校の音楽の授業の堅苦しさなどが、これまでたくさん積み重なっていたことに気づきました。 小さい時は、テレビを見ながら踊ったり歌ったりしていたそうです。でもどこかの段階で、歌うことも踊ることもぴったり止まりました。 自分の声も全く好きになれず。 自分の声や歌からできるだけ遠くに自分を置いてきたと思います。 私はこれまでいかに自分の声を無視し、放っておいたのかということに気づいたこと、 それが、「声」に注目することになったきっかけです。 声を出すことを続けているうちに、喉に力が入って、喉が一生懸命声を出そうとしていることに気づくようになりました。 声が出てくるのではなく、声を出そうとしていたことに。 歌にすることではなく、「歌」の通りに音を合わせようとしていたことに。 これは、私の内側から出てくる「声」そのものではない。 力んだ喉がデフォルトになってしまった私は、私の身体は、自分の声を自由に出させてあげることをすっかり忘れてしまっています。 掲載の動画のVarsha Singh Dhanoaさんの声に合わせていると、喉の力が抜けやすくなってきているのを感じます。 力みに気がついたら、喉の力を緩め、身体をほどき、身体が無理ない感じで、そこから自然と音が出てくるような感じを味わうようにしています。 声は、その人のすべてがあらわれます。 その人のリズム。思い、感情。 存在そのもの。 私はまだ、自分の声を自由に出させてあげられていないなぁと感じています。 今は、自分の

「自己嫌悪の種は外からしか植え付けられない」

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たくさんの禁止のメッセージによって、自分がしたいことがわからなくなってしまうという、 前回 からの続きです。 禁止が機能するのはは、恐怖、罪悪感、恥の感情が引き起こされるとき。 『ムーミン谷の夏まつり』で、24人の森の子どもたちが公園に行くようになった過程は描かれていませんが、公園番の夫婦が子どもたちに起こしたのは恐怖感だと思われます。 禁止されていたことをやってしまったために受ける罰には、暴力(折檻)のような身体に受けるもの、批判や罵りのように言葉で受けるもの、立場を失ったり仲間外れのような、社会性や関係性に及ぼすものなどがあります。 このような「罰」は、次のようなときにより効力が大きくなります。 ①罰を与える人が自分にとって重要な人物や関係であるとき ②助けがないとき ➂罰によって受ける痛みや失うものが、自分にとって重要であるとき これは、とても辛く、怖いことです。 禁止によって受ける罰の恐怖感が大きいほど、小さかったとしても積み重なるほど、恐怖は次第に罪悪感や恥の感情も引き起こしていきます。 こんな辛くて苦しい感情を避けようとするならば、禁止されていることを守る必要があります。 これが、心も身体もコントロールされていく禁止のパワー。 スナフキンはついてくる子どもたちを連れて、ムーミントロールのところへ向かいます。その途中、スナフキンは、泣いてぐずる子どもをあやし、食事を与え、雨風をよけ、あたたかく過ごさせます。 そうして、子どもたちが笑顔を見せたり、主張するようになっていく様子が描かれています。 禁止がどのように人を傷つけ、蝕むかということについて、オーストラリア人コメディアンのハンナ・ギャズビーの「ナネット」をお勧めしたいと思います。 Youtubeのトレイラーには日本語字幕がありませんが、Netflixは日本語字幕付きです。 とても素晴らしい内容なのでぜひご自身で見ていただけたらと思うのですが、今回のテーマに関連する印象深い言葉を書きます(※文章として読みやすいよう、省略や追記、接続をやや変えているところがあります。ご了承ください)。 (世間にある)嫌悪感が自分自身に向かっていき、心から自分を憎むようになりました。そして私は自分を恥じる気持ちに浸っていました。 自己嫌悪の種は外からしか植え付けられないのです。 (暴力を振るわれたのに警察や病院へ行かなかった

「明日に架ける橋」になる

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調べ物をしていて(一応、心理療法についての学術的なことです…💦)、サイモン&ガーファンクルの「明日に架ける橋」に辿り着きました。ふしぎ。 子どもの頃から耳にしたことのある歌ですが、改めて聞いてみて、とても響きました。 これって、カウンセリングのプロセスそのもの…! When you're weary, feeling small  When tears are in your eyes,  I will dry them all  疲れ果て、自分がちっぽけな存在だと感じ、 涙がにじんできたなら、 私がその涙を拭ってあげる I'm on your side  When times get rough  And friends just can't be found  Like a bridge over troubled water  I will lay me down  Like a bridge over troubled water  I will lay me down  私はあなたの味方。 つらいときも、 友だちがいないときも、 激しい流れに架かる橋のように 私が橋になろう When you're down and out  When you're on the street  When evening falls so hard  I will comfort you  どん底にいるとき。 ひとり街をさまよい歩くとき。 夕暮れがつらく寂しいとき。 私が慰めてあげる I'll take your part  When darkness comes  And pain is all around  Like a bridge over troubled water  I will lay me down  Like a bridge over troubled water  I will lay me down  私はあなたを支えよう 暗闇がたちこめ、 苦しくてたまらないときも 激しい流れに架かる橋のように、 私が橋になろう カウンセリングでは、クライエントさんを独りぼっちにしない、ということをとても大切にしています。 クライエントさんが抱えている辛い気持ち、 クライエントさんは、それをずっと一人で抱え、対処

「恥」を誇り(プライド)に変える

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今年はコロナ禍を経て久しぶりにプライド・パレードが世界の各地で開催されましたね。 私は 20 年ほど前にカナダのトロントでこのパレードを見ました。カナダは移民国家ですが、私が滞在していた時に、トロント市の移民一世の人口が初めて半数を超えたというニュースに、町の人たちが歓喜したなど、多様性にオープンな都市です。ダウンタウンには通称「ゲイ・ストリート」(当時の呼称。今はどうなんでしょう?)があって、 LGBTQs の人々が集っていました。 そのトロントでのプライド・パレード。すごいです。今年の映像はこちら。「お祭り騒ぎ」という言葉がぴったり、活気にあふれ、参加する人も見る人もめちゃくちゃ盛り上がる楽しいパレードです。   私はプライド・パレードの「 pride 」という言葉が好きです。 胸が熱くなる感じがします。 日本語の否定的なニュアンスは全くなく、「誇り」という言葉そのものです。 性的少数者が生きづらく感じる理由の一つは、周りの人々や社会が持つ「恥」が、自分の中にも取り込まれていることです。 というよりも、「恥」は、周囲の人や社会が考える受け入れがたいこと、よくないこと、「普通」じゃないこと、という価値観を心の中に浸み込ませ、こびりつかせてしまう猛烈なパワーを持っています。 多数者や力をもつ人がこのパワーを使うのはこのためです。無意識にも意識的にも使って、自分の価値観を維持する環境をつくっています。そうすると、自分は変わらなくていいし、自分にとって居心地がよい環境を維持できますから。 だから少数者のほうが取り込んだんじゃなくて、取り込まされた、浸み込まされた、という言い方の方が正しいと思います。   この恥のパワーのやっかいなところは、恥が内面化されてしまうと、自分自身が恥ずべき存在なんだという価値観を信じこんでしまったり、違和感や居心地の悪さを感じていても、自分の中にある「恥」を、外に追い出すのがとても難しいことです。 これが、深刻な精神疾患(抑うつや不安など)の原因であったり、人間関係の困難を引き起こすだけでなく、自殺の要因ともなることが研究でも示されています。   前回の記事で、恥と孤独の関係について書きました。 自分の周りが、自分自身を否定するような言葉と視線に満ちあふれいているとしたら、自分を、自分の「恥」をさらけ出すことができるでしょうか? 想像するだけ

秘密と孤独

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秘密を持たない人はいないと思います。 秘密にしていることを自分でも自覚していないような秘密もあるかもしれません。 Michael Slepian博士によると、人は一度に平均13個の秘密を持っているそうです。そしてそのうち5個は誰にも話したことがない。 最もよく見られた秘密は嘘をついたことでした。 嘘は秘密を守る方法の一つなのですが、嘘をついたこと自体が秘密になる、という構造があります。 「秘密を持つことの本当の問題は、秘密を隠すことではなく、秘密と共に生きていかなければならないこと」だと博士は言っています。 秘密は孤独と背中合わせです。 秘密の内容が、恥の感情と関係することも指摘されています。 その秘密が、「私は悪い人間だ」「価値のない人間だ」という評価に結び付いているとき、秘密はさらに心の奥底へとしまわれ、誰にも見せないよう孤立していきます。 そんな奥へとしまわれながら、でも常にその秘密は自分につきまとい、秘密によってもたらされた恥の感情に傷つけられてしまいます。 「秘密」の難しさは、秘密を隠すことではなく、秘密について一人で考え、一人で抱えていくこと。 秘密は、それが個人にとってとても重要なものだからこそ、誰かに打ちあけ、誰かと共有することで、孤独感や辛さを和らげてくれます。 カウンセリングは、クライエントさんが持っている「秘密」を他者(カウンセラー)と共有する場所だと言えるでしょう。 カウンセリングは、心のなかを探究していくプロセス。 自覚している「秘密」だけでなく、心の中で陰に隠れていたような気持ちや自分に出会う作業だからです。 秘密に関してカウンセリングでしばしば出される別のテーマについては、また別のブログで書きたいと思います。 Slepian博士のお話はこちらから聞くことができます。 秘密にまつわる様々なお話だけでなく、博士の個人的な経験も語っておられ、とても興味深いお話です。(英語)

「感情の経験」もトレーニング

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プロフィールに書いていますが、私は2年ほど前からピアノを始めました。 目標は漁師ピアニストの徳永さん😄 すごい。52歳から始めて、60歳のときにフジコ・ヘミングさんと共演! こういう方がいると、「こんな歳から始めても…」という恥の感情は消えてくれます。ありがとう~。 私は楽器は未経験で、そして年齢的な壁ももちろんあって、1曲が弾けるようになるまでが大変です。何回もしつこくやってます。 そうすると、あららら!と指が勝手に動く瞬間が訪れてくれるのです。 これが気持ちいい。 指が勝手に動くなんて!!! 楽器をされている方なら「なんだそれ」みたいな話で恐縮ですが、こんなふうに勝手に身体が動くのは驚きです。 今回この話をしているのは、「感情の経験」と重なるところがあるなと思ったからです。 感情は誰もが感じていますし、持っているものですが、二つの側面について、あまり経験されていなかったり、難しかったりすることがあります。 一つは、感じるのが難しい感情を感じること。 考えると大きな痛みを伴う経験や出来事、あるいは自分自身の受け入れがたい側面は、感じるととても苦しく辛いので、あまり深く考えないようにしていることが多くあります。 もう一つは、どのような感情であれ、深く深く感じること。 歓喜に心を震わせる。 心の底から怒りを表現する。 喜怒哀楽に限らず、快適な感情も、きつい感情も、深くしっかりと感じるということは、実は簡単ではありません。 成長するにつれ、社会で生きていくにつれ、感情をしっかりと感じ、表す、という機会はどんどん減っていきます。あるいは、サバイバルの手段として深い感情から距離を取るということもあります。 「成長」や「社会性」の獲得の一方で、深い感情の体験は失われていく傾向にあります。 このように、感情をしっかりと感じるということに慣れていなかったり、不安だったり、難しかったりということは、よくあることです。 私がカウンセリングで行っているのは、「感情の体験に少しずつ慣れていく」、という作業です。 じっくり、そして繰り返しやっていくと、からだとこころがだんだん慣れてきて、ふっと、そしてスルスルと、感情の方が動いてくれる、そういう動きをつくっていくのをサポートしたいと思っています。 私のヨガの先生は、ポーズをとるときに必ず「無理をしない、でも少しだけ挑戦する」ということを言

怒り:いとうせいこう(作詩・リーディング)土取利行(三弦)

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前回のブログ「 他者の怒りに直面したとき① 」を書いたあと、ブログを読んだ方から、いとうせいこうさんのリーディングの動画を紹介していただきました。 これがとても素晴らしく、私が自分のためにブックマークしておきたいとも思いましたので、ブログに載せさせていただきます。 「君が美しいのは 怒りとつながっているとき」 「暴力と怒りを取りかえてはならない」 「君が美しいのは 怒りを誰かと共有するからだ」 怒り:いとうせいこう(作詞・リーディング)、土取利行(三弦)

「すべての山に登れ」

紅葉の季節。 近くの山に行きました。 見上げれば色づいた紅葉と空。足元は落ち葉がカサカサと優しい音をたてていました。    時々、近くの山に行きますが、以前はちょっと本格的な登山をしていました。日本ではアルプスや北海道などの山々。海外へも登山旅行を何度かしました。 「山ガール」や「中高年の山歩き」もまだなかった頃。山は比較的静かな場所でした。 私は、連れとのおしゃべりを楽しんだり、景色や自然を満喫するよりもむしろ、ただただ、もくもくと歩くのが好きなほうです。せっかくの景色や自然、鳥の声に目を向けないのは、もったいないような気もするのですが、山に行くと、そういう気持ちや欲求よりも、どうも身体が自然とズンズン動いていくようです。 「呼吸は自分の歩み、歩き方に合わせるのが大事だ。(中略)呼吸をうまくやるのは、登っているときに常に自分の体に問い続けることだ。『どのペースが一番楽だと思う?』とね。するとリズムが少しずつわかってくる」 〔「藤原章生のぶらっとヒマラヤ」毎日新聞2021年6月29日(火)夕刊。ネパールのダウラギリ登山中、スペイン人登山家カルロス・ソリアさん(81歳)がダウラギリ(8,167 m)登山で語った言葉。〕 呼吸のリズム。身体の声。 自分を見つめていくとき、体験を深めていくとき、カウンセリングでもとても大切なことです。 山を歩く、ということについては、こんな歌があります。 ミュージカル映画「サウンド・オブ・ミュージック」で、主人公のマリアが自分の方向性に戸惑っていたとき、修道院長が彼女に歌った歌です。  「すべての山に登れ」   すべての山を登りなさい 高きも低きをたずね あなたの知るすべての道 あらゆる小径をたどるのです すべての山を登りなさい あらゆる流れを渡り あなたの夢を見つけだすまで あらゆる虹を追え あなたが与えうる限りの愛 その必要としている夢 来る日も来る日も あなたが生きつづけるかぎり すべての山を登りなさい すべてのせせらぎ 流れを渡り あなたの夢を見つけだすまで すべての虹を追うのです (Sound of Music, "Climb every mountain") 生きていく中での迷い。方向性を見失って、立ちつくしてしまうような時。 暗闇の中で、トンネルの中で、身動きができないようなこと。 そういうなかでも、人は

「THE INVITATION」~真実の自分を感じる

THE INVITATION という詩があります。 ずっと以前に発表され、インターネットを通じで広がり、日本語にも翻訳されています( 『ただ、それだけ』 オーリア・マウンテン・ドリーマー 、小沢瑞穂・訳、サンマーク出版/残念ながら品切れ重版未定です)。 私がこの詩に出会ったのは、大学院の授業でした。 カナダのトロント大学から招聘された先生の「スピリチュアル教育」の授業です。 先生が言う教育におけるスピリチュアリティとは、魂が動かされるようなこと、という意味。それが子どもの成長にとても大切なことなんだというテーマでした。 例えば、「このタイルを2段飛ばしであそこまで行きつく!」と決めて集中しているような瞬間(子どもアルアル)。 浜辺で光るガラスのかけらを見つけて大喜びし、大事に宝物箱にしまうとき(親にとってはゴミ~)。 そういう、子どもが熱中しているときの瞳のきらめき、それがスピリチュアリティだと。 その授業では、学生それぞれの「スピリチュアル」な体験をシェアし、それをみんなで味わうという、とても心が満たされる時間でした。 この感覚は、カウンセリングセッションの中でも大切にしている体験です。 深く心が動かされるような感情体験。 それは、身体中が感覚で満たされたり、突き動かされたりするような体験です。 THE INVITATIONの詩に戻りますが、作者のOriahさんは、その先生と同じトロントの方でした。しかも以前私が滞在したところからすぐ近くに事務所があったことを知りました。 この詩がずっと私の心に残っているのは、こういうつながりに感じるものがあったからかもしれません。 この詩のメッセージはダイレクトで、パワフルです。Oriahさんの、ネイティブアメリカンのシャーマニズムの体験からきているのだろうと思います。 あなたがどこで何を誰と学んできたかに興味はない 私が知りたいのは すべてが消え去ったとき あなたの内側から支えるものは何か (11パラグラフ目より) 私は、このパワフルさにひるんでしまいそうになる一方、仲間がいるんだ、というような気持にもなります。こんなふうに思うのは、とても勇気がいることであり、孤独な気持ちにもなる。でも、遠くで、こういう人がいるんだ、というような気持ち。 この詩が、インターネットを通じで、たくさんの言語に翻訳されて世界中に広まったのは、こんな

ずっと深い土の中にある種、それはあなた

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私は車を運転しているときにラジオを楽しんでるんですが、 昨日、ベット・ミドラーの「ローズ」が流れてきました。 何回聞いてもいい歌だな…と思います。 初めて聞いたのは、ずっと以前、ラジオの英会話講座でした。 とても感動して、そのページは切り抜き、お守りのようにずっと手帳に挟んでいました。 歌の後半にこんな歌詞があります。 Just remember in the winter Far beneath the bitter snows Lies the seed that with the sun's love In the spring becomes the rose 【日本語訳】 思い出して。 冬、凍えるような雪のずっと下に種はあって、 太陽の愛を浴び、春には薔薇が咲くということを。 人からの攻撃や批判、無視、圧力などをたくさん受けてきた人は、それに苦しむだけでなく、その批判などを自分の中にも取り込んでいて、自分自身を責めるようになります。 DVや虐待、いじめなどを経験すると、自分自身を「価値がない」とか「不十分だ」とか、「私が悪い」というように、自分を傷つけるような思いを持つようになってしまうことはあるのです。 それでもその中で、クライエントさんの内側にある「力」が感じられることがあります。 そういうときは、私は、その力に注目したくなります。 その力は、この歌と同じ。 凍えるような雪のずっと下にある種。 セッションの中では、その「種」にもっと注目したいと思います。 その種は息吹き、芽を出し、根を張り、美しい花や、大きな緑の木へと成長するもの。 私もこの歌に支えられてきたなと思います。 たくさんの人がカバーしていますが、日本語訳の字幕がある動画をリンクします。 あなたの中の種を、感じてほしいと願いながら。 (広告が出たら、隅の「☓」をクリックしてくださいね。広告が消えて、字幕を見ることができます。)