「自分への愛は孤独の中では決して育たない」~「ALL ABOUT LOVE」②
前回からの続きです。
心理療法は、今、別の形で現れている「問題」「感情」などを通して、「愛を失って受けた深い悲しみ」の場所へと辿っていくということを書きました。
bell hooksは続いてこう書いています。
自己受容は、私たち多くの者にとって困難だ。なぜなら、まず私たち自身に対して、次に他者に対してたえず批判をおこなう内なる声があるからだ。その声は際限なく否定的な批判をおこなう。私たちは、否定的であることの方が、より現実的だと信じるようになっているので、その内なる声は肯定的な声よりも現実的に思えるのだ。
自分自身とのつながり ―自己への愛― を取り戻す。それは不正義から離れるプロセス。
「愛」が「正義」である、「正義」は「愛」である、そして心理療法は愛の実践を取り戻すことである、ということがこの2回のブログで伝えられたでしょうか。
悲しむ人々は、他者から離れた、私的で適切な場所のみで感情を表すように勧められる。長引く悲しみは、どんな苦痛をも素早く治すことを勧める文化においては、とりわけ目障りなのものである。(略)長引く悲しみを恥じるように私たちは教えられている。洋服のしみのように、悲しみは私たちが欠点のある不完全なものであると示す。悲嘆にしがみつくことは、それを表現したいと望むことは、世慣れた人々は悲嘆にくれたりしない現代生活にはそぐわないものである。
愛は恥を知らない。愛することは、悲しみに対して心を開くことであり、たとえ終わりのない悲しみであっても、それに影響されることである。私たちが悲しむ方法は愛を知っているかどうかによって特徴づけられる。愛はあまりにも多くの恐れを解き放つので、愛はまた、私たちの悲しみをも導いてくれる。
不正義によって分断された愛の実践を取り戻す「つながり」。
「自己愛は孤独の中では決して育たない。」
心理療法は、自己への愛を育む場・方法の一つの形なのです。