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9月, 2021の投稿を表示しています

自分と周りの人との距離感をイメージしてみる

前回 、他者との距離感について、実際的に体験してみるワークをご紹介しました。 距離には、実際の物理的な位置関係と、心の中での距離感とがあります。 遠いところにいる人だと、心の中の距離感も、比較的遠くになりやすいでしょう。あんまり接点がないですから(とはいえ、ネットですぐにつながるので、そうとも言えなくなってきたところはあると思いますが)。 前回ご紹介したワークは、安全感を、身体で感じるというものでした。 今日は、心の中での感覚やイメージを取り上げます。 前回のブログの最後に、「実生活では、自分のこの安全な距離を失礼にもぶち破ってくる人と直面しなければならないことは多いかもしれません」と書きました。 そういうふうに感じることがよくあるなぁ…と思う場合、それはどんな相手でしょうか?そして、どんな場面で? まず、その相手は、自分にとってどういう人でしょうか。 これは、「私の親です」とか「私の友人です」みたいに、自分とその人の関係についてではありません。 自分にとって、その人はどういう存在なのか、という問いです。 ここでもう一つワークをご紹介したいと思います。 (※このワークは、一人では難しく感じることもあるので、その場合は、自分のために、ワークを進めないようにしましょう。そして、安心できる人やカウンセラーなどと一緒にやってみてください。) A4やB4ぐらいの紙を用意し、その真ん中に「私」と書きます。自分の名前を書いてもいいでしょう。 そして、中心の「私」の周りに、安全ラインの円を描きます。円の大きさは、あなたが感じる大きさや形で。 それから、まず親しい人を思い浮かべてみます。ペットや大事な本などでも、信仰があればそういうことでもOKです。 最初に浮かべた人(など)。それは自分にとってどのあたりにいる感じ? そしてその次に浮かんだ人。 こうやって、思い浮かぶ人を、順番にマッピングしていきます。自分にとっての、その人との距離感をイメージし、感じながら。 このマッピングは、自分の感覚やイメージに基づくものですから、どういう位置感覚や位置関係でもOKです。 いかがでしょうか。 日頃会うことがない人でも、ずっと心に残り、心に寄り添っている人がいるかもしれません。その人は、自分の「安全圏」の内側にマッピングされた感じでしょうか。あるいはすぐ近くとか。 逆に、毎日関わりがあるので、紙の

自分の距離感を知る

人間関係における距離感。 結構難しいことってあるんじゃないでしょうか。 相手と自分との感覚が違うとき。 その場で求められる(と思う)感覚と、自分の感覚が違うとき。 そうすると、 自分が我慢したり妥協したりして疲れてしまう... 違いが露わになると不穏な空気が漂ってしまう... 求められる距離感の圧力に苛立ちや怒りを感じる... 相手が近すぎて、恐怖感を感じる... 距離感については、まず初めに大切にしたいのが、自分にとって心地よい、大丈夫、耐えられる、などと感じられる距離がどのくらいか、ということへの注目です。 距離感は文字のとおり、物理的な距離によって感じる感覚からよくわかります。 体験的なワークをご紹介しましょう。どちらも比較的親しい人(たち)と行ってみてください(ワークなので、安全に進めるほうがよいですから)。 【やり方①】 比較的親しい人に前に立ってもらい、その人に正面から近づいてもらう。 ものすごくゆっくりと近づいてもらったり、足早に近づいてもらったりしてみてください。 その人はどの距離にいてもらうとよい感じがするか?少しずつ近づいてきたとき、どのあたりから「近い!」と感じるサインが生まれるか。 これは身体が感じているはずです。なんとなく緊張感がある、ドキドキする、モヤモヤするなどです。 これ以上はダメ、と思う距離感はどのあたりか。 これをお互いにやってみると、自分にとっての(その人との)距離感はどのくらいか、そして、自分はそれをどんなふうに感じているかを体験できます。 【やり方②】 二人以上で行います。 長いロープを用意します。それを自分の周りにぐるりと配置します。 ロープの中心に座ってみて、ロープの輪の大きさが自分にとってよい感じかどうか感じてみます。必要ならもっと大きく、あるいは小さく。 他の人は、それを穏やかに見ています。 自分がその輪の中に座り、ロープの外にいる人を見てみます。また、その輪の中にいることを感じてみます。 どちらのワークも、相手によって、距離感がかなり違うことがわかります。 カウンセリングのセッションでも、ある人(たいていはクライエントさんが苦手とする人)が、どのくらいの距離にいると大丈夫と感じられるか、ということをイメージしてみます。 カウンセリングをしているこの部屋の中にいてもOKか。部屋のドアの外ぐらい?建物の外?もっと遠く?

苦難の後の「成長」(ポスト・トラウマティック・グロース)

PTSDやトラウマという言葉は、かなり一般的になりました。 とても衝撃的な出来事を経験したり、それに触れたりするなどによって(トラウマ)、強いショックを受け、それが心身の不調などに現れることをいいます(PTSD)。 一方、「ポスト・トラウマティック・グロース(外傷後成長)」というのは、大きな心の傷を受けた後に、ストレス状態から回復し、さらに「成長」する、自分が成長したと感じられることをいいます。 死の危険にさらされるようなトラウマ体験に限らず、このような変容は起こります。 人生に起きる苦難、試練、逆境。 自ら望んだわけではありませんから、その苦しみ、痛みは非常に辛いものです。 しかしそこから、何かをつかんでいく人もたくさんいることを、私は臨床を続けているなかで、確かに見てきました。 例えば離婚。 自らが望まないなかでの離婚は、とても辛く苦しいことです。 同時に、相手への怒りがかきたてられたりもします。 複雑な気持ちを見ていくと、自分の両親との関係や、子どもの時に経験した、さまざまな心の傷が現れてくることもあります。 苦しくて辛い気持ちですが、その気持ちにもっと近づくことができていくと、自分自身や家族、これまでのこと、いろんなことを振り返って見ていけるようになることがあります。 「感謝」の気持ちは、その先から生まれてきていることが多いです。 辛さや哀しさがなくなっているわけではない。 でも同時に同じくらい、感謝の気持ちが生まれてくるのです。 それは、自分に起きた出来事を振り返ることができているなかで、わかったこと、見えたこと、感じたことがあって、 そうやってわかったことで、新しい自分になれているような感じが生まれています。 それが感謝だと。 「自分の人生を生きている」。そういう感じが伝わってきます。 「ここにいたって、わしにはわかるのだ。本当に力といえるもので、持つに値するものは、たったひとつしかないことが。それは、何かを獲得する力ではなくて、受け入れる力だ。」 (「ゲド戦記Ⅲさいはての島へ」ル・グウィン、清水真砂子訳、岩波書店) クライエントさんが「感謝」を感じているときの語りには、クライエントさんが、自分の人生に起きたことを受け入れ、それを自分のものにした力が伝わってきます。 私が、自分自身の経験からも、たくさんのクライエントさんとの出会いからも思うのは、辛い出来

「生きていくうえで大切なことは何だと思いますか?」

夏休み中に、中学生の「職業人インタビュー」を受ける機会がありました。臨床心理士に興味を持つ中学生二人です。 今は学校でキャリア教育があるので、こういうプログラムがあるんですね。 臨床心理士という仕事に興味を持ってくれて、とてもうれしかったです。 質問の一つに、「中学生のときは、将来どんな仕事をしたいと思っていたのですか?」というのがありました。 私が中学生の時は、こういう授業がなかったためかもしれませんが、将来何になりたいか、どんな仕事をしたいか、よくわかりませんでした。 何も考えられていなかったなーと思いました。 私は中学生のとき、特に後半、もどかしい苛立ちや無力感で苦しかったことを覚えています。 当時は、トラブルが重なったり、転校して気持ちがなかなか切り替えられなかったことが背景にあったのだろうと思います。 もう小さな子どもではなく、いろいろなことが見えてしまう。 でも、自分でできることがあまりにもなさすぎる。 そういう、思春期特有の苦しさだったと思います。 中学3年生の夏、どうしても以前住んでいた場所に行って、以前の友だちに会いたくなり、一人で長距離バスに乗って遊びに行きました。 その帰りのバスで、隣に座った壮年期ごろの男性に話しかけられました。 「中学生か~、一番いい時期だなぁ~。」 私は、「はい」とは言えないし、「いいえ」とも言えず、答えられずにいました。 大人にとってはそう見えるのかもしれない。でも私はこんなにたまらない気持ちの毎日を過ごしている。 彼とのやりとりで、抱えていた苦しさと孤独感をハッキリと自覚した出来事でした。 中学生の時にそういう私だったので、インタビュアーのお二人の準備の素晴らしさに感嘆でした。 お二人はとてもしっかりと準備をし、たくさんの質問を考えてきてくれていました。 私はてっきり、臨床心理士ってどんなお仕事ですか、とか、どんなふうに働きますかといった、具体的な質問を受けると思い込んでいたのですが、もちろんそういう質問はちゃんとありましたが、もっとずっと哲学的な質問がたくさんありました。 でも、それはそうですね。 「働く」って、「生きる」ということですよね。 だから、単なる職業選択ではなく、もっと深く考えるのは当然ですし、そういう哲学的な質問も当然のことでしょう。 お二人が、将来のこと、仕事のことを、じっくりと考えて準備したというこ

「THE INVITATION」~真実の自分を感じる

THE INVITATION という詩があります。 ずっと以前に発表され、インターネットを通じで広がり、日本語にも翻訳されています( 『ただ、それだけ』 オーリア・マウンテン・ドリーマー 、小沢瑞穂・訳、サンマーク出版/残念ながら品切れ重版未定です)。 私がこの詩に出会ったのは、大学院の授業でした。 カナダのトロント大学から招聘された先生の「スピリチュアル教育」の授業です。 先生が言う教育におけるスピリチュアリティとは、魂が動かされるようなこと、という意味。それが子どもの成長にとても大切なことなんだというテーマでした。 例えば、「このタイルを2段飛ばしであそこまで行きつく!」と決めて集中しているような瞬間(子どもアルアル)。 浜辺で光るガラスのかけらを見つけて大喜びし、大事に宝物箱にしまうとき(親にとってはゴミ~)。 そういう、子どもが熱中しているときの瞳のきらめき、それがスピリチュアリティだと。 その授業では、学生それぞれの「スピリチュアル」な体験をシェアし、それをみんなで味わうという、とても心が満たされる時間でした。 この感覚は、カウンセリングセッションの中でも大切にしている体験です。 深く心が動かされるような感情体験。 それは、身体中が感覚で満たされたり、突き動かされたりするような体験です。 THE INVITATIONの詩に戻りますが、作者のOriahさんは、その先生と同じトロントの方でした。しかも以前私が滞在したところからすぐ近くに事務所があったことを知りました。 この詩がずっと私の心に残っているのは、こういうつながりに感じるものがあったからかもしれません。 この詩のメッセージはダイレクトで、パワフルです。Oriahさんの、ネイティブアメリカンのシャーマニズムの体験からきているのだろうと思います。 あなたがどこで何を誰と学んできたかに興味はない 私が知りたいのは すべてが消え去ったとき あなたの内側から支えるものは何か (11パラグラフ目より) 私は、このパワフルさにひるんでしまいそうになる一方、仲間がいるんだ、というような気持にもなります。こんなふうに思うのは、とても勇気がいることであり、孤独な気持ちにもなる。でも、遠くで、こういう人がいるんだ、というような気持ち。 この詩が、インターネットを通じで、たくさんの言語に翻訳されて世界中に広まったのは、こんな