心理療法における「非暴力」について考える①

現在トレーニングを受けているセンサリーモーター・サイコセラピー(SP)という心理療法には、6つの原則があります。

原則とは、セラピーのための哲学的、精神性の基盤です。

その1つが「ノンバイオレンス(=非暴力)」。

(他は、有機性、ユニティ、ホリズム、マインドフルネスとプレゼンス、対人関係の錬金術、です。)


非暴力を心理療法において明確に打ち出していたのは、私がこれまで受けた心理療法の研修やトレーニングでは初めてでした。他には、SPのルーツであるハコミ・セラピーも非暴力の原則を掲げています。


「非暴力」は、「不服従」と併せて、ガンジーの実践としてまず思い浮かぶのではないでしょうか。

暴力や戦闘によらずに、支配者を倒し、体制を変革しようとした運動です。


では、心理療法における非暴力とは何か?


セラピストが、クライエントさんに害を及ぼさないこと、例えば身体的な暴力は言うまでもなく、言葉による攻撃も含め、当然、セラピストが行ってはならないことです。

無意識の偏見に気づかずにその偏見をクライエントさんに出してしまっていることも、広い意味での「暴力」に含まれます。

ですからセラピストは自身の内省やセッションへの責任が必要です。


梅酒
今年の梅酒
青梅がキレイです


心理療法における非暴力を、さらに広げて考えてみたいと思います。


ドメスティック・バイオレンスの問題の本質を表す上で、暴力とは、支配とコントロールであるということがはっきりと打ち出されました。

あらゆる「暴力」は、それがどのような形態で行われるかに関わらず、支配とコントロールが目的であり、また結果であるというものです。

つまり、他者などへの攻撃、侵入、侵害などのような直接介入的な行為だけでなく、二人の間の力関係があるときに、一見正しそうに見えたり、親切に見えたりするような行為にも、一方から他方への“コントロール”が潜んでいて、その背後に支配とコントロールへの欲求が隠れていることがありますし、あるいは、結果として支配とコントロールの関係になるということもあります。

このような支配とコントロールの関係性は、二者間に起きるだけでなく、家族などの小集団や職場、コミュニティで、そして社会構造としても存在します。

また逆に、社会に組み込まれている支配とコントロールの構造が、個人のレベルにも及んできます。


このように、世界で起こっていることと、自分の身の回りで起きていることと、そして自分の内面で起きていることには連続性があるので、心理療法もまた、その連続性の中に位置づけることが必要だと言われてきています。


ですので、「暴力」の概念を広げすぎているのかもしれませんが、「暴力」の中核である「支配とコントロール」へ注目を移していき、その連続性を考えてみたいと思います。