心理療法における「非暴力」について考える②

暴力の本質である「支配とコントロール」。

心理療法における非暴力の実践は、支配/被支配、コントロールする/されるという関係にならないようにすることを意味します。

また、そのような関係性の現れにフォーカスを当てて、それがどんなふうに影響を及ぼしているかということをテーマとして扱っていきます。


心理療法における非暴力の実践について、三つの層から見て行きたいと思います。

今回はそのうちの一つをとりあげます。


ハートの形
ハート型のシミをみつけました


心理療法は、クライエントとセラピストの二者関係において行われます(それぞれが複数の場合も含みます)。

立場がはっきりしてる心理療法という関係性において、支配とコントロールは、悪質な形でも善良な形でも現れます。

悪質な形がどのようなものかは想像がつきやすいと思います。

セラピストが酷い言動を行ったり、気分によって態度が変わったり、クライエントさんを「下」に見るような態度であったり、セラピストの意向でセッションを進めようとしたり。


一方、善良な形は、あまりピンとこないものです。

セラピストは心理療法の“専門家”なので、習得した知識やスキルを提供しますが、その提供内容が例え「正しい」ものであっても、提供の仕方によっては不適切になりえます。

「あなたのためを思って」となされる言動が、決して「私のため」ではないのと同じで、提供するプロセス自体に非暴力の実践が求められます。


提供する知識やスキルは、クライエントさんが求めているものかどうか、

クライエントさんに、それを検討し、選択するプロセスが十分あるかどうか、

クライエントさんにはNOを言えるプロセスがあるかどうか。


こういう点は、心理療法ではあいまいになりがちです。

その背景は次の記事で書きたいと思いますが、クライエントさんご自身だけでなく、セラピストにとっても、あまり気づけないままに進んでしまうことが比較的簡単に起きてしまうからです。

「良いこと(あるいは、効果があると実証されていること)」は行ってもよい、問題はない、明白だ、ということには、注意して意識を向けにくいためです。


でも、誰が、何が、「良いこと」だと判断したり、実感するでしょうか?

なぜそれが「良いこと」なのだと判断できるでしょうか。


心理療法における非暴力の実践とは、ここにフォーカスを当てることではないかと思います。


それは本当に良いこと?

誰にとって?何にとって?

どうして良いとわかるのか?

「良い」ってどういうことなのか?



こんなテーマを見つめながら、いろいろ試し、確かめ、試行錯誤していく。

心理療法における非暴力の実践の3つの層の一つ目をこんなふうに考えてみました。