効果的なセラピーのために ②セラピストの質―2

カウンセラーの質について、前回のブログで3つの点を取り上げました。

この3つは相互に関連しています。それぞれが、他の点として考えるものでもあります。

例えば1つ目の「心理療法の技術が十分であること、それが学術的理論に基づいていること」は、2つ目の「倫理」的であるということでもあり、また、3つ目の「相性」を調整し、つくっていく作業プロセスです。


このことについて、もう少し詳しく述べます。


心理療法は、知り合いとの雑談や悩み事相談とは異なり、セラピストが発する言葉一つひとつ、セラピストが話している内容や提示したこと、その話し方など、全てが学術的な理論に基づいて行われます。

ですので、セラピストの応答や態度に疑問を持ったり、不快な気持ちになったときだけでなく、ふと興味をもったときでも、「なぜそれを言ったのか、したのか」と質問してみることで、「セラピストの質」を判断できる場合があります。

セラピストの言動が意識的であれ無意識なものであれ、セラピストは自身の言動を説明することができるか、説明できない場合でも、説明できない理由を説明する必要があります。


セラピストの説明や態度に納得がいかなかったり、よくわからなかったら、もう少し質問を続けてみてもよいでしょう。

そのような質疑のやりとりを通して、「相性」を判断していくことができます。

またそのようなやりとりのプロセスを通して、関係性の調整が進んでいくはずです。


このような関係性の調整のプロセスに3つ目の「倫理」が関係します。

明らかに害を及ぼすような言動はもってのほかですが、モヤモヤするけれど倫理的に問題のある言動かどうかを判断しづらいことのほうが多くあると思います。

セラピストが、クライエントさんの質問に対して誠意をもって答えているか、セラピストが自省や反省ができるかどうか、自身を修正しようとする姿勢があるかどうか、

セラピストへの質問を通して判断していくことができるでしょう。




とはいえ、こんなふうにセラピストに質問することはそれほど簡単ではありません。

私自身も、「そんな簡単じゃない~」と強く感じますし、これまでも今も経験していることです。

そこには2つの背景があると考えます。


1つは、対等な関係性の経験です。

相手がどのような立場の人であれ、お互いにそれぞれの思いや考えがあることを尊重し、相互的、双方向的な会話をする経験が、日本は圧倒的に乏しい社会です。

そういう社会で生きていると、相手へ直接的な質問をすることへの遠慮や不安が起きます。

相手が不快な態度をとるのではないか、ちゃんと応対してくれなくなるのではないかと心配します。

学校や家庭、地域社会、勤務先などでの経験を通して、そういう不安や恐怖感が身に染みこんでいるので、なかなか質問しにくいし、自分の感想を正直には伝えにくいものです。


もう1つは、自分の中に感じたモヤモヤをはっきりと感じにくいことです。

相手の立場をおもんばかって、また関係性に不穏な空気を起こさないように、自分の中の不快な感情は抑圧しがちになります。

また、速さや効率性を求められ続けていると、自分の中で起きていることをじっくりと感じることができなくなります。

こういうことが大きく小さく積み重なっていくと、自分の感情を感じにくくなるのは、身体の自然な反応です。



私が行う心理療法では、これらをとても重要な要素として扱っています。

カウンセリングにおける開かれ、安全な関係性は、心理療法が進んでいく上で非常に重要なことだからです。


これに関連して、次の「➂クライエントさんの側の要因」へ続きます。