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おすすめ!「ストレスとトラウマのためのセルフケア新習慣」

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おすすめの コレモ(コミュニティ・レジリエンシー・モデル) の本が出版されました! 「ストレスとトラウマのためのセルフケア新習慣 コミュニティ・レジリエンシー・モデル入門」(服部信子・著、日本評論社)。 私がコレモを知ったのは2017年。 参加していたワークショップの隣に座っていたのが著者の服部信子さんでした。 当時の私の関心は、トラウマの治療法やトラウマ療法を求めている人は多くいるけれど、医療や支援機関が十分ではないなかで、「回復」を目指すのは難しくても、せめて「なんとかなる」と感じられるような、シンプルで簡単で、日常の中で取り入れられるアプローチはないものか…ということでした。 その話を服部信子さんにしたところ教えてくださったのが「コレモ」。 コレモは、言葉でやりとりできるぐらいの小さい子どもからお年寄りまで、まさに「いつでも、どこでも、誰でもできる」、とっても簡単だけれど安全で効果的なアプローチです。 私自身も日常のなかでこれを基本的に使っていますし、セッションでもクライエントさんによくお話ししています。 子どもとも時々一緒にやっています。初めて提示してみたのは小学1年生ぐらいのころでしたが、スムーズに理解できて、落ち着きました。その後も時おり提示してきたので、今は自分でできるようになっています。 トラウマの回復は、トラウマの理解がとても重要です。 こちらの本は、トラウマについてもわかりやすく書かれています。 私のセッションでは、コレモを取り入れて、実際にセッションの中で体験してもらっています。 ご興味があればぜひ一緒にやってみましょう!

誰にも言えなかったこと。それが世界へとつなぐ。

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3つ前のブログ で、スタンダップ・コメディアンのハンナ・ギャズビーを取り上げました。 ハンナは、これまで受けてきたたくさんの被害、被差別の経験の痛みを削ぎ落して「ネタ」にしてコメディにしてきたのですが、それが自分を世界から切り離してきたのだとわかり、痛みをそのまま伝える新しい「コメディ」をつくりました。 それが「ナネット」。 「ナネット」を発表した時に、ハンナはコメディアンを辞めると宣言しました。 でも自分自身の真実を伝えたことで、ハンナは逆に世界とのつながりを取り戻しました。 これが3つ前のブログで取り上げたことです。 タイで有名なシンハービールをはじめとする様々な事業を手掛ける大財閥の家族である シラヌード・スコットさんが、実兄からの性被害を公表 しました。 シラヌードさんもまた、自分が受けてきた被害を誰にも話すことができず、ようやく家族に打ち明けましたが、秘密にすることを求められました。 しかし、家族との間で起きた問題をきっかけに、真実を明らかにする決心をします。 「このことを長年抱え込んで生きてきて、もはや話さなければ死んでしまうところまで追い込まれていた。私は生きたかった」。 沈黙の強要は二次加害です。 加害者(加害社会)にとって、性被害や差別が明るみに出ることは、不利益であり、不都合なので、いろいろな理由や条件をつけて沈黙を求めます。 そうして強要された沈黙は、被害者の孤立と分断をもたらし、被害者はさらに苦しめられます。 被害を受けた時に助けがなかった上に、被害を伝えてもなお一人にさせられる。 沈黙の強要は、加害側がもつパワーによって有効になります。 苦しんだ末に告白をしたシラヌードさんは、SNSのなかで共感と支持を得たそうです。 さらに、沈黙させられていた人たちが#Me Tooと発するきっかけとなり、シラヌードさんも他の人たちも、自分は一人ではないのだという大きなうねりが生まれました。 「公表したことで、外の世界にはこれほど多くの光があると知ることができた」。 今までとは違う人との、今までとは違うつながり。 今までとは違う自分自身とのつながり。 心理療法でも大切にしていることです。 ※文中の青文字のリンクはヤフーニュース。こちらは毎日新聞の記事です(有料)。 特派員発 世界は今 「兄から性的虐待」タイの有名ビール創業家 告発後の思わぬ反響

泣くまいという決意。泣きたいという切望。

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私はよく泣く子どもでした。 泣くというよりは、涙を流す。涙が流れる。 記憶に残る前の小さい頃は、「ちょうちょがいた」と泣き、「アリがいた」と泣いて家に戻ってきたと聞きました。 怖かったからなのか、驚いたからなのか、感動したからなのか…。 もう少し大きくなって覚えているのは、静かに泣いていたこと。 コップの水があふれるように涙が目から流れ、声をたてずに泣いていました。 そういう私でしたが、「もう人前では決して泣くまい」と決意したことを覚えています。 小学校3年生のとき。 学校で、毎日のように嫌なことを言ってくる子がいました。 からかいのようないじりのような軽いものだったのだろうと、今は思います。 でもその時の私はとても嫌で、逃げ場もなく、毎日のように学校で涙を流していました。 でもある時、「泣いても何も変わらない」ということがハッキリと頭に浮かびました。 そして、「もうこんなふうには泣くまい」と決意したのです。 それはちょうど幼児期から思春期へと移っていく自我の目覚めでもあったのだろうと思います。 そこから私は、自分と世界の間にひかれた心の境界線を次第に強く感じるようになっていきました。 「涙の箱」ハン・ガン 作 / きむふな 訳、評論社 AEDP®セラピスト仲間の 向裕加さん から、こちらの本をいただきました。 主人公の女の子は、嫌なことだけでなく、みんながまるで予測も理解もできないところで涙を流すことから「涙つぼ」と呼ばれていました。 「涙つぼ」は、涙を集めて売買している不思議なおじさんに付いて、旅を始めることになりました。 おじさんは、涙を注文したお爺さんのところへ向かっていました。 赤ん坊の頃以降、一度も涙を流すことがなかったお爺さんは、おじさんが集めた「涙の結晶」を全部購入して…。 この物語は、泣くべきことに、しっかりと哀しみを感じて涙を流すことがどのような人生の体験をもたらすかということを示しています。 それはAEDP®セラピーが大切にしていること。 子どものころに泣いてばかりだった私は、今は年のせいで涙もろくなりましたが、それよりもセラピーを通して、涙の大切さを深く知るようになりました。 「時おり、予想外の瞬間に、私たちを救うために訪れてくれる涙に感謝する。」 作者のハン・ガンさんのあとがきの言葉です。

わたしらしい「つながり」の経験とは

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前回はハンナ・ギャズビーのTEDトークを取り上げたのですが、このトークで印象に残ったことがもう1つありました。 それは、「つながり」という体験の多様性です。 ハンナは自閉症を持っている背景があり、考えていることをそのまま話すということに困難を感じています。 頭の中では、独創的な象形文字のような形で思考し、物事を深く考えていますが、それを“翻訳”すること、つまり他の人との共通言語として話すことに困難があるそうです。 コミュニケーションの困難に加え、自分の傷をネタにしてコメディをしてきたことで、自分自身を切り離してきました。 その深い孤独。 人と話すのは難しいけれど、スタンダップ・コメディアンで大成功しているという不思議。 「ナネット」の大反響からハンナが発見したのは、スタンダップ・コメディを 介して 人とつながる、という体験でした。 神経多様性のために、人の話を聞いたり、自分から話したりという形でのコミュニケーションによって人とのつながりを感じるのは難しかった。 でも、自分にとって得意な形で提示したものを、聴衆が受け取り、感じ、反響する。ハンナは、それを通して、自分が世界とつながっているという実感を得ました。 直接人と話をしたわけではないけれど。 こういう、「つながり」の形もある。 太陽の光でオレンジがさらに鮮やかに。 左端の黒いのはうちのワンコ。 このTEDトーク、最後にハンナが言います。 「つながりは、私だけがつくるものではないのです。みなさんも参加するから、つながりができるのです。」 ハンナのように、自ら何かを提示できる人は多くはありません。 でも、提示されたものを、受け取ること、そこから感じていくことで「つながり」は生まれます。 「ナネット」だけでなく、好きなもので。 音楽や小説、どんなことでも。

孤独の正体

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スタンダップ・コメディアンの ハンナ・ギャズビーの『ナネット』 (2018年)は何度見ても最高です。 ハンナはレズビアンで、『ナネット』公演の前年にADHDと自閉症の診断を受けました。 鬱と不安障害があり、レイプと暴行を受けたことがあるというハンナの体験がこの公演で語られています。 こちらのTEDトーク(Three ideas. Three contradictions. Or not. | Hannah Gadsby)はその後日談。 「私が人間として生きている意味は何なのか」という深い問いがもたげます。 ハンナは、レイプや暴行だけでなく、差別や暴力を受けてきたことでPTSDもありました。 『ナネット』までは、そういう自分の個人的エピソードの傷みの部分を削いでジョークにし、コメディとして発表していました。 でもそれはトラウマの再演(※)だったということに気づいていきます。 それは自分自身を切り離していた行為だったということ。 そして世界から切り離されないためにしていた行為だったということを。 真実と傷みをそのままに話すことを、世界は忌避します。 見たくない、聞きたくない現実。 それが自分を否定すること、 あるいは自分の傷が再発してしまうこと。 その恐怖から、真実と傷みを遠ざけようとします。 ハンナはそれを幼少期から知っていたので、「笑い」という方法で自分を世界につなげようとしてきたと。 でもそれを止めよう、と決意して発表した『ナネット』。 「真実と傷みをそのままに話すことで周縁に追いやられるとわかっていた上で、真実を伝えるために自ら犠牲を払う覚悟でした。」 ところが『ナネット』は世界中で大評判になり、受賞もしました。 「結果は私を世界から押しやるのではなく、世界は私を近くに引き寄せたのです。」 このことは、孤独とは何かということを伝えてくれています。 自分の中にある深い傷みが、誰とも、世界ともつながっていないこと。 傷みが現れると世界から切り離されてしまった経験。 その深い恐怖。 ハンナはコメディを通してそれを伝えました。 心理療法もまた、孤独をほぐし、和らげ、内なる真実と傷みを感じていくことで「世界を私の近くに引き寄せる」という体験。 その道のりを共に歩むものです。 ※トラウマの再演:トラウマ・エピソードによって生じた反応が強烈な場合、それらは過去のものであっても...

AEDP®認定セラピストになりました

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前回のブログ投稿からなんと2カ月以上も空いてしまいました。 この間、いろいろと忙しかったのですが、その1つはAEDP®認定セラピストに向けての作業でした。 ゴールデンウィーク明けに全ての必要なドキュメントが整い、提出。 そして今日、認定合格のメッセージを受け取りました。 初めてAEDPを知ったのは10年前。 とある研修で、講師の先生が「AEDPという心理療法があり、今度日本で初めてオンラインでのセミナーがある」と お話になったときでした。 心理療法は、比較的知られている精神分析や認知行動療法などだけでなく、全てを学んだり知ったりすることは不可能なほど多くの種類があります。 AEDPがどのような心理療法かわからないにも関わらず、私はその場でスマホで検索し、そのセミナーに申し込みました。 それが10年前。 これまでに受けてきた研修や講座とは全く違い、とても強い印象を受け、そこから私の訓練の道のりが始まりました。 踏まれないところでは自由に旺盛に咲けます 私は子どもの頃は身体が小さく、育ってきた環境やさまざまなハードルもあり、自分が思うように進むことができなかったり、人よりも何かにつけ遅れをとるという経験をしてきました。 歯がゆかったり、悲しかったり、無力感を感じたりということが少なくありませんでした。 心理職として学んできたプロセスでも、AEDPの訓練を始めてからもまた、同じような思いをすることが度々ありました。 さまざまな思いを経て、「仕方がない」と受け止め、諦め、 自分が生きてきたペースもいつもこんなふうだったということを思い出し、 行くべき方向に(私が行きたいかどうかはともかく)、進むべきペースで、目の前のことをともかくやり、一日を終える。 AEDPのトレーニングにも10年。 そんなものかな、という気持ちを、AEDP®認定セラピストへの訓練の中でまた思い出していました。 そうして身に付いた忍耐力は、欲しかった力ではなかったのですが、結果的に私を支えていたと思います。 1つの心理療法の訓練の区切りがつきました。 とはいえ、別の心理療法の訓練はまだ続けていますし、注目したいことがいろいろ浮かんでいます。 これからも、今までのように、勘と忍耐力とで、私の道を歩んでいきたいと思います。

「安心」を感じるステップ 3

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「安心を感じるステップ1」に書きましたイールド。 自分の身体を何か、誰かに委ねる。  これは、緊張状態にある人にとって難しい動きであり、感覚です。 緊張状態がデフォルトの人にとっては、委ねるときに身体の緊張を緩めているつもりでも緩まないですし、緩めることへの抵抗や不安が起きる場合もあります。 抵抗や不安を感じたら、より緊張が増していきますし。 ですので、自分の身体の状態を試行錯誤するよりは、ガイアツを使ってみるとよいかもしれません。 ガイアツの例として。我が家のワンコ。 これぞまさにイールドです。 すっかりくつろいで身を委ねている、この重みや温かさをじんわりとじっくりと感じてみる。 そうすると、自分の身体も、重みと温かみに影響されて、何か少し違う感覚が生じてきます。 ペットがいないとか、ペットでは難しい場合、毛布でやってみることもできます。 「重い毛布」として販売されていますが、家にある普通の毛布でも。 寒いと辛いので、暖かい場所でやるか、カイロを首やほほに当てて、暖かくしてくださいね。 毛布をかぶり、その重みを感じる。身体を、毛布の重みのままに沈んでいくような感じで。 こんなふうに、外からくる重みをじっくりと感じることでイールドの本質を体験していくことができます。 悲しみなどの感情がわいてきて辛くなった場合は、長くやりすぎなのでストップしましょう。 セラピストと一緒にやったほうが安全です。

「安心」を感じるステップ 2

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安心は、完全に力を抜いてリラックスすることと、というわけではなく、ある程度の力が入っていながら「自分」でいられること、つまり、コントロール感が維持できていることと考えた方がよいと思います、 と前回のブログで書きました。 ある程度の力。 心理療法が進むと、重力感や根っこの感覚、芯がある感じが現れてきます。 これは大抵の方に自然と現れていて、この現象が共通しているのは興味深いものです。 しっかりしているのに緊張しているわけではなく、重みはあるけれど楽でもあるというような、安定した自由な感覚です。 まずは自分がどういう状態かに注意を向けていきます。 筋弛緩法は、身体の筋緊張を入れたり抜いたりすることで、自分の感覚に気づいていける、簡単でわかりやすい方法です。 私も筋弛緩法をアレンジして、筋緊張を意図的に入れることを提案したりしますが、私のセッションではさらに一歩進めていくようにしています。 単に筋肉の力を入れたり抜いたりだけでなく、力を入れているときや抜いたときの状態をより感じていけるようサポートしていきます。 また抜いたときの状態を、十分味わうことによってさらにその感覚を展開していくこともサポートします。 これは何をしているかというと、緊張やリラックスを感じることだけでなく、自分と身体の関係を体験してもらっているのです。 こういう体験をしていくと、身体は肉体(物体)としてだけでないことが展開されていきます。 イメージの世界、スピリチュアリティのような感覚、哲学的・実存的な思考へと広がっていきます。 とはいえ、こういう「ワーク」のようなことは、心理療法の中でスムーズに進むわけではありません。 世界が危険な人にとっては、「何かをする」のは苦痛を伴ったり、恐ろしいほどのパワーが必要だったりします。 絶望の中で、例えば、目線を上げて上を見てみるというようなことでさえ、絶望感のあまりできないものです。 続きは次回。

「安心」を感じるステップ 1

世界が危険に満ちたものだという体験が積み重なると、身体は常に緊張状態、世界に対して警戒した状態になり、リラックスがとても難しく感じます。 世界は危険だ、怖いとは思っていなくても、実は身体は緊張状態で、それに気づいていないということもよく見られます。 床に寝転び、目を閉じて力を抜いているところで、足や腕を持ち上げると軽い人は、無意識に力が入っています(よく見られます)。 ですので、身体の本質的なリラックスはなかなか難しい感覚です。 ボディーワークにおいて、yielding(イールド、イールディング。以下「イールド」と書きます)という概念に基づいたワークがあります。 日本ではロルフィングやフェルデンクライスなどで用いられています。 イールドは、身体を委ねる、預けるという動きや状態で、もともとはボディ・マインド・センタリングを提唱している Bonnie Bainbridge Cohen が主張しているものです。Bonnieは著書「 Basic Neurocellular Patterns: Exploring Developmental Movement 」のなかで、5つの発達上の動きを示しました。 イールドはその1つで、発達上では最初に現われるものです。 イールドは重力に対して自分の重みを預けながら、同時に、預けている対象の存在やその対象から伝わる力を受け取るという意味があり、自分の身体状態と、身体が関わる環境(他者)との相互作用が含まれています。 その点で、身体の力を完全に抜いたことにフォーカスするリラックスとは異なるとされています。 安心は、完全に力を抜いてリラックスすることと、というわけではなく、ある程度の力が入っていながら「自分」でいられること、つまり、コントロール感が維持できていることと考えた方がよいと思います。 例えば椅子の背にもたれかかると、まっすぐ座っているよりも背中の力が抜けているはずです。 そこで、抜けている力を感じられるようだったらそのまま身体の感覚に委ねていけます。 でも世界は危険な人にとっては、力が抜けることでまた緊張がさらに増します。 力を抜く=気を抜くとか丸腰になる=危険という図式が身体化しているためです。 そうすると、「リラックス感=危険」構図がさらに強化され、また、「力が抜けない」ことへの自責や諦め、恥、悲しみ、怒りなどが起きてしまいま...

一番ゆっくりな部分が大丈夫と思える速さで進む

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研修の先生からこの歌を教えていただきました。 Karen Druckerの「Gentle With Myself」。 I will only go as fast as the slowest part of me feels safe to go.  私の中の、一番ゆっくりな部分が大丈夫と思える速さでしか進まない。 「the slowest part of me:私の一番ゆっくりな部分」。 それは、疲れている部分。 傷ついている部分。 怖がっている部分。 小さいことを大切にしたい部分。 そういう部分じゃないでしょうか。 I will be gentle with myself. (自分に優しくします。) それは、一番ゆっくりな部分を知っていて、そのスピードで進むこと。 カウンセリングでも、一緒に見つけていきたい「部分」です。

年の瀬に。

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私のこの1年は、 自分も家族もアップダウンがたくさんあり、 できないことややらなかったことがたくさんあり、 「懐かしい人と会う」機会がたくさんあり、 よかったことも残念なこともたくさんありました。 そして、新しいクライエントさんたちとお会いすることができました。 セラピーもセラピストも、探すのはとても大変な作業だと知っています。 その中で、VIEWへアクセスしていただき、感謝申し上げます。 ブログの更新ができないまま年の瀬となりました。 いろいろなことを同時並行で行っていて、なかなか落ち着いて書く時間をとることができませんでした。 ブログは、二つの方向(テーマ)でリニューアルしようかな、と思っていますが、どうなることやら。 ベンチの霜に誰かが描いたハート。何か描きたくなるくらいきれいな初霜でした。 写真を撮っていたら「あなたが描いたの?」とお散歩の女性が声をかけてくれました。 仲良く朝日のほうへ歩いて行ったお二人を私はしばらく見ていました。 来年もまた、セラピストとして、1人の人間として、一歩ずつ歩んだり、立ち止まったり、休んだりしながらやって行きたいと思います。 また来年もどうぞよろしくお願いいたします。

回復のために、自分を「閉ざし」、居場所をつくる

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私が回復するには、自分の中にいるあらゆる者たちに居場所をつくってやらなければならない。(中略)自分の中にいるさまざまな者たちが、互いに妥協することなく共存できる、その均衡点を私の体の奥深くに見つけなければならない。あらゆる者がもうここに来ているのだ。私の体はあらゆる者が集まる場所になっているのだ。だから、それらとともに新しくつくりかえなければならない。(p.95) 「熊になったわたし」 ナスターシャ・マルタン著 この本は、私の「今年の1冊」。 人類学者の著者は、フィールドワーク先のカムチャッカの森で熊に襲われ、九死に一生を得る大けがをします。 冒頭の引用は、事故の後、フランスに戻って治療を受けていたところです。 熊によって負った傷害を、単に外科的な回復としてだけではとらえられない、深い混沌に著者は陥っていきます。 この引用文は、まさにセラピーで起きること。 悩みや苦しみや困難を、心理療法という方法で扱っていくとき、そこには、そのクライエントさんには、(そしてセラピストの私にも)さまざまな「者」が現れてきます。 悩みや苦しみや困難の中にいるときというのは、たいてい、悩んだり苦しんだりしている者、それを何とかしたいともがいている者、諦めや無力感を感じている者、孤独を感じている者、それでも毎日を生きようとしている者… こんなふうにあらゆる「者」が現れて来ます。 そして、セラピーを通して、あらゆる者が「互いに妥協することなく共存できる、その均衡点」を探っていくのです。 私が変容するためには、肉体と魂の手術を完成させて、私という開かれた世界を閉じる必要がある。肉体の傷口を縫合し、開かれた魂を閉じるのだ。肉体においても、魂においても、今すぐ境界を閉鎖しなければならない。(p.96) 著者は大けがをしたので、損傷した肉体の傷を閉じ、肉体が回復していく必要があります。 心理療法でも、自分を「閉じ」、境界をつくるというのは、とても重要なこととして扱います。 心理療法では、いろいろな“実験”を通して「境界」を引く、「境界」を感じる、「閉じる/開く」、「つながる/切る」、「境界」を広げる/狭める、ということを体験していきます。 それは、自分の中に集まった「あらゆる者」にとって大切な感覚であり、「あらゆる者」とともに行います。 この本に関してもう1つ。 著者は、フランスで手術と治療を終えた...

人生が私に呼びかける

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人生の意味とは? 誰もに一度は浮かんだことのある問い。 カウンセリングにおいても中核的で深淵なテーマです。 哲学者の森岡正博さんは、人生の意味とは?という問いにおいては、「人生があなたに呼びかける」のだと言っています。 (「 A Phenomenological Approach to the Philosophy of Meaning in Life 」 2025, Philosophia vol.53) 絶望、不安、空しさ、深い悲しみ。 生きていても仕方がない。 生きていることが辛い。 このような思いの中にいるとき、人生の意味って?という問いが浮かんできます。 それは「人生」が私に呼びかけてきているのだと、森岡さんは述べます。 この絶望や不安、空しさ、深い悲しみの中で、ではあなたはどうするのか?どう生きようとするのか? 「人生の意味」とは、自分の人生に対してどのような態度をとるのか、どのように関わろうとするのか、そういう私の態度が人生の意味をつくっていく、そしてこれを「人生の意味の哲学」と述べています。 人生の呼びかけに対しては、積極的な態度や消極的な態度、前向きな態度や後ろ向きの態度、あるいは停滞するような態度などがあり、「私」の主体的な意思とその行動選択という意味で書かれているようです。 例えば、「今この瞬間の自分の人生を、壊滅的な状況に耐えようとする姿勢で探り続けると、その態度が最も暗い時でも私を励まし、生き延びる可能性が徐々に目の前に現れ始め」、人生を諦めるという態度で自分の人生を探究すると陰鬱な人生になる、など、今この瞬間の態度によって、人生の意味はつくりあげられていく。 ですが、「態度」には様々なレベルがあり、「私」にもさまざまな「私」が同時に存在することを、私は心理療法の中で感じています。 絶望の中にいて、打ちのめされて身動きがとれず、ただ息をしているだけのような「私」と同時に、この苦しみから逃れたい、光を求めたいと切望する「私」がいる。 誰にも踏み込まれたくないし、誰にも自分のことはわからないと思う「私」と同時に、誰かを求め、誰かと共にいたいと思う「私」がいる。 もう命を終わらせたい、生きていたくないと思う「私」と同時に、優しさや愛や慈しみに喜びを感じる「私」もいる。 そういういろいろな私が同時に私の中に存在するなかで、それぞれの「私」が...

トラウマ化を防ぎ、トラウマを改善するもの

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「山」続きですが。 こちらの仕事と並行して従事している勤務先の仕事で、竹内洋岳さんの講演会を行いました。 日本人初、8,000m以上の14の山を全て登頂した方です。 14座完登した人を、その偉業を称え、14サミッターといいます。 8,000m級の登山では、これまでも数多くの死者が出ています。 竹内さんもまた、同行者は亡くなってしまったという大変な事故に遭い、九死に一生を得る登山をされています。 命に関わる大けがから救出された後、竹内さんは暴れて大激怒していたそうです。竹内さんご自身はその時の記憶がなかったそうですが。 「登山の哲学」NHK出版新書 407 「下山の哲学」太郎次郎社エディタス トラウマセラピーを行う心理士として興味をもったのは、記憶がない救助直後以降に大激怒して暴れていたというところ。 生命の危機は、強い恐怖の感情と身体状態を引き起こします。 命の危機のその瞬間に典型的に現れるのは凍りつきの反応。 その後に襲ってくるのは震え。それが恐怖の感情とつながります。 この一連の身体反応が完全に完了しなかった場合、恐怖の記憶は身体化する場合があります。 思い出すと恐ろしさに襲われるとか、そもそも思い出すことができないとか、 思い出として恐怖感はなくても、身体が覚えていて固まってしまうなど。 身体はまだあの時の危険を覚えていて、今も警戒状態をいつでも発動できるようにしている、と言えます。 でも、竹内さんが体験された怒り。 これは命のエネルギーを発露するパワーでもあるので、怒りによってトラウマ化が起きなかったのかもしれません。 ご著書を読んでて感じたのは、竹内さんが、常に第三者的な視点で自分と状況を見ていることでした。 トラウマに限らず、心理療法は、自分や状況を俯瞰して観ていくプロセスです。あるいは、結果的に俯瞰して観ることができるようになるもので、そのようなまなざしが、深い癒し、存在感、つながりの体験をもたらします。 第三者的な視点は、トラウマ化を防ぐことにも、トラウマ化した状態を改善することにも役立つと考えられます。 これは、竹内さんがされていたように、日々の積み重ねの中で身につけていくことができますし、誰でもそれは可能です。 セラピーでも、それが蓄積されているのを、クライエントさんから感じています。 サインもいただきました! ありがとうございます

トラウマを癒やすのに必要な感覚

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前回のブログで取り上げた「夜明けまえ、山の影で」 。 著者のシルヴィアは、性虐待や性被害を受けた仲間とともに、エベレストのベースキャンプを目指して歩いていました。 ベースキャンプでも標高は5,000m超。 高度順化のために何日かかけて歩いていくその途中、エベレストの頂が見えました。 私たちは黙ったまま、しばらくエベレストを見つめていた。 「お母さんみたい」ヒメナ(※参加者の1人)が小さな声で言った。 エベレストを見るとき、なぜささやき声になってしまうのか、私にはわかる。 圧倒されるからだ。自分の小ささを知り、自分が、自分よりもはるかに大きいものの一部であると感じる。自然を通してトラウマを癒やすのに必要なのが、この感覚だ。  この感覚は、自分でじっさいに経験してみないとわからない。トラウマはスプーンで簡単にすくって取り除けるようなものではない。あなたの中に巣くい、悠然と、ときに静かに、いつまでも居すわる。そしていつだって、ほんの一瞬で、あなたを破壊する力をもっている。 (p.144) 「大いなるもの」を感じる体験。このようなスピリチュアルなイメージや感覚は、心理療法ではとても意味深いものです。 大木。満点の星空。広がる大地。 日本のクライエントさんからは大自然が現れますが、海外では神が浮かぶ方もいるそうです。 私が初めて2,000mを超える山を登ったのは中学生の時でした。 苦しい登り道をただひたすら歩いて辿り着いた山の頂。 そこからはるか下方に、当時住んでいた街の灯が小さく瞬いていました。 あんなにちっぽけな瞬きに自分は暮らしていたのだ その時に感じたものは、私の表現力では言い表すことができません。 でも今もありありとあの灯が思い出されるのは、私の中に表象として残り続けているから。 思い出さなくても、私を支えてきた場面の一つなのでしょう。 今年の北アルプス 高所登山は、気軽にできるものではありませんが、「おおいなるもの」はあらゆるところに存在します。 誰もに「おおいなるもの」との出会い、つながりが、意味あるものとして存在することを願います。

”誰かとともに登る道のりにこそ安心と癒しがある”

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「自分の歩いた道のりを振り返ってみないと、自分がどれだけ遠くまで来たのかわからないときがある。頂上に立つとは、たんに何かを成し遂げるということではない。長い時間をかけて影の中を歩き、その向こう側に何があるのかを知ることができる、ということだ。他の女性や、男性とともに歩く方法を学ぶということだ。ひとりで張りつめながら生きるのではなく、周りの人と助けあうことを学ぶということだ。誰かとともに登る道のりにこそ安心と癒しがあると、知ることだ。」   シルヴィア・ヴァスケス=ラヴァド著 『夜明けまえ、山の影で』双葉社 家の掃除の仕事をしに来ていた遠い親戚の男性に、6歳のころから数年にわたり性虐待を受けてきた著者は、被害を親に言えないまま成長します。男性に、「内緒だよ」「お父さんに頼まれたんだよ」と言われていたからです。 被害を受けることがなくなってからも数年の間、誰にも言えずにいた著者は、高校3年生のときに、厳格で支配的な父親の怒鳴り声が引き金になって「秘密」を吐き出します。そして、それをきっかけに受診した精神科医の勧めでアメリカに留学することになりました。“忌まわしい”思い出のある場所を去り、新しい地で人生を過ごすために。 しかし性虐待のトラウマによる影響が現れ始めます。ワーカホリックになり、アルコール依存とセックス依存を抱え、苦しむようになります。 さらに愛する人を失うという辛苦のどん底へいたり、故郷のペルーの母の勧めで、伝統的に行われてきたアヤワスカという幻覚剤を用いた儀式を受けます。そこで著者は、6歳の自分のイメージと出会います。 この女の子を、自由にしてあげたい。山に連れて行ってあげたい。 登山はその強い思いから始まりました。 そうして、最高峰のエベレストへ向かいます。 女の子を、地球で最も高いところへ連れて行ってあげるために。 体調や悪天候で困難を極めた中、著者は世界最高峰へたどり着きます。 そして、冒頭の引用に思い至るのです。 山登りのメタファーは、セッションの中で時々現れることがあります。 自分が歩いてきた道。これから歩いていく道。 頂上に至るということ。 そして下っていくということ。 共に歩む人。 歩調を合わせて同行しているわけではない、でも同じ山を登る誰かの存在。 登山をしてきた私にとって、「山」は身体に浸み込んでいる記憶。 ですので、クライエントさ...

変化までの2年

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私は、洗髪はシャンプーではなく石鹸をつかってます。 それまでは市販のいろいろなシャンプーを使っていました。 だいぶん前のことですが、お金を節約したいな~という動機、そして二番目に、石鹸洗髪への興味がわいて、石鹸を使い始めたのでした。 石鹸は、洗浄だけではなく保湿の機能もあるそうで、自分に合ったオイル成分が含まれているものを選ぶのがポイントだとか。 大学の時の指導教員の先生(アフリカ研究)が、肌が弱くてどの石鹸もダメだったけれど「アフリカ滞在時に出会ったこの石鹸だけ大丈夫だった」とお話になったアレッポの石鹸のことを思い出し、それ以来、洗髪はずっとこの固形石鹸です。 1個で何カ月ももつので、すごくリーズナブルです~。 画像は「アレッポの石鹸ONLINE SHOP」からお借りしました。 石鹸洗髪の後は、髪を弱酸性にするためにクエン酸やお酢でのリンスが必要です。 石鹸洗髪を始めると、なんと!髪がものすごいことになりました! ゴワゴワして、ブラッシングも大変なほど。 以前に使っていた市販のシャンプーのようなサラサラ・ツヤツヤはなくなり、とんでもない状態でした。 決して美しいとは言えない髪。 でもなぜか、不思議と市販シャンプーに戻そうとは思わず、「ゴワゴワでもまぁいいやー」と思って使い続けていました。 そうして2年ほどたったころ。 ふと気づくと、あれほどゴワゴワしてひどい状態だった髪が、すっかりサラサラになっていたのです。 全部の髪が生え変わるのに4~6年かかるとのことですが、私の場合は、自覚的に感じるのにかかった時間が2年だったのだと思います。 こんなにサラサラで健康的な髪になるとは、始めたころには思ってもなかった効果でした。 髪の変化には、シャンプーや石鹸という、外的な要因だけではなく、髪自体が入れ替わる時間が必要だったのだろうと思われます。 身体の変化には時間が必要でした。 心理療法は一般的に長い時間をかけて変化をもたらすものです。 比較的早く変化をもたらすCBT(認知行動療法)などは、認知や認識(考え方、思考パターン)へアプローチしていき、変化を自覚しやすいものです。 一方で、身体に浸み込んだパターンや、コアにあって、感情や身体様式と結びついている認知は、変化に相応の時間がかかる傾向があります。 それは、身体が変化に慣れ、その変化が新たなデフォルトの状態となるまでに、身...

心理療法と平和

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もう30年前かと思うと、遠い過去の出来事ですが、ずっと私の心に残っていることがあります。 当時、定期的に活動していたグループがありました。その活動でご一緒だった方が、どういう流れだったかは覚えていないのですが、こんなことを語りました。 「私が生まれる前に戦争に行った父は、私を見ることなく戦争で死んでしまった。私は、父を恋しく思う気持ちと同時に、その父が戦争でしただろう加害を思うと、身を引き裂かれるように辛いのです。」 愛する人が、誰かを傷つけ、その地を蹂躙したのだということ。 その人の血が自分にも流れているのだということ。 涙を流しながら苦しそうに私に言っていました。 私の父と同じ年齢の方でした。 当時私は、何も言えなかった、何も返せなかったと思います。 ただ、その方の苦しみが伝わってきていました。 そして30年たった今でも、叫ぶように語った言葉と涙が、私の中でよみがえります。 その後、紆余曲折があり、私は心理職となりました。 光り輝く雷雲 臨床心理士養成課程の大学院の入学式。 研究所長がこんな式辞を述べられました。 「心理臨床は、心に平和をもたらすためのものです。 世界の平和のために、心理臨床を行うのです。」 その先生もまた、私の父と同じ年齢でした。 既にお亡くなりになっています。 現在受けているトレーニングの中で、世代間トラウマについて取り上げていました。 私は、あの活動仲間の方にセラピーを提供することはもうできませんが、このテーマが示されたときに、心理療法として取り組むことができるようになったと思います。 心理療法を通しての戦後処理。 心理臨床という「平和」のための活動。 心理療法というのは、お一人おひとりに対して提供するものですので、地球からすればごくごく小さな米粒のような意味しかないかもしれません。 でも、「心に平和」が、一人ひとりにもたらされること、 それを目指していきたいと思います。 「たった一人で見た夢が、百万人の現実を変えることもある。」 マヤ・アンジェロウ

ジェスチャーに込められている癒しの糸口

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日本語でのコミュニケーションでは、他の言語と比べてジェスチャーが少ないようですが、カウンセリングセッションの中で、ふとしたジェスチャーが現れることはよくあります。 先日トレーニングセッションにおいて、私は、未だに忘れられないある嫌な経験を取り上げたのですが、その話をしながら、手で払うジェスチャーが出てきました。 セラピスト役の人と一緒にやりとりをしていくなかで、手で払おうとするジェスチャーの腕には力がこもっていることが顕著になってきました。 その腕の緊張をしっかりと感じながら、手で払うしぐさをゆっくりとやってみました。 払い終えると、力が抜け、涙があふれてきました。 あの時に本当はやりたかった腕の動きを、今、完了させられたことで、緊張が緩み、そうして涙が出てきたのです。 涙にはいろいろな感情や思いがこめられていました。 話しながら手を胸に当てるというしぐさは、よく現れます。 意識して置いているのではなく、話しながら何とはなく手が自然に動いて、胸に当てられて。 その手と、手を当てられている胸とに注目して、ゆっくりと留まってみると、やはり涙があふれてくることがあります。 やさしく触れる「タッチ」には、不安やストレスを鎮める意味や効果があります。 タッチについてわかりやすく書かれています こんなふうに、ジェスチャーを含めた身体の動きには、自分を守ったり、助けたり、癒そうとする身体の智慧があるとして、それをより確かな経験として深めていくということを、カウンセリングセッションでは積極的に取り入れています。 無意識に自分でやっていることが、自分の身体が、安らぎや自由をもたらしてくれるのだということに気づくと、自分への信頼感が積み重なっていきます。

世代を超えるトラウマ

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「世代間トラウマ」(Generational trauma, transgenerational trauma)は、世代を超えて引き継がれるトラウマのことを言います。 「世代間トラウマ」は精神疾患の診断名ではありません。 ある人が抱える精神症状や人間関係の問題、思考や行動に、上の世代で経験されたことの影響が及んでいると考える、社会的な視点を踏まえたものです。 ある集団がトラウマ的な出来事を経験すると、その集団に属する人々が被る身体的または心理的な症状や状態が、不安、抑うつ、心臓疾患等の身体疾患、PTSD症状などとして次の世代にも引き継がれる傾向があると言われています。 戦争、人種差別と迫害、災害等によって起き、欧米の研究においては、先住民族、ホロコーストの生存者、アメリカの黒人が例として挙げられています。 雲の彼方、右奥に富士山 戦争トラウマは、日本において、十分注目されずにきたものでした。 終戦80年の2025年のこの8月は、メディアで目にすることが出てきました。 あのような甚大な加害を行い、被害を受けた日本。それが何の影響もないわけがないことが、ようやく明らかになってきています。 私は、終戦前後に生まれた両親の元に、高度経済成長期に生まれました。 私にとって戦争は「遠い過去のもの」。祖父母が経験したとはいえ、「自分のこと」としては認識しない、歴史上のことだと思ってきました。 でも数年前、心理療法のトレーニングのデモ練習で、自分も相手も、戦争の歴史の影響がありありと存在するのだという経験をしました。 その時は圧倒され、「影響」の部分を切り離して練習を終えたのですが、ずっと引っかかるものを抱えてきました。 今はそれが、私の中に、価値観、イメージ、思考や言動、そして身体においても色濃く影響を及ぼしているということを実感しています。 カウンセリングでも、戦争による影響がテーマになることが、直接的にも間接的にもあります。 現在受けているトレーニングでは、このような影響についても扱うことを訓練中です。 「トラウマ」を、個人の内側の体験に留めず、周囲とのつながり、コミュニティ、そして世代を超えて見る、そういう視点も大切にしていきたいと思います。