人生が私に呼びかける

人生の意味とは?

誰もに一度は浮かんだことのある問い。

カウンセリングにおいても中核的で深淵なテーマです。


哲学者の森岡正博さんは、人生の意味とは?という問いにおいては、「人生があなたに呼びかける」のだと言っています。

(「A Phenomenological Approach to the Philosophy of Meaning in Life」 2025, Philosophia vol.53)


絶望、不安、空しさ、深い悲しみ。

生きていても仕方がない。

生きていることが辛い。

このような思いの中にいるとき、人生の意味って?という問いが浮かんできます。


それは「人生」が私に呼びかけてきているのだと、森岡さんは述べます。

この絶望や不安、空しさ、深い悲しみの中で、ではあなたはどうするのか?どう生きようとするのか?

「人生の意味」とは、自分の人生に対してどのような態度をとるのか、どのように関わろうとするのか、そういう私の態度が人生の意味をつくっていく、そしてこれを「人生の意味の哲学」と述べています。


銀杏の紅葉


人生の呼びかけに対しては、積極的な態度や消極的な態度、前向きな態度や後ろ向きの態度、あるいは停滞するような態度などがあり、「私」の主体的な意思とその行動選択という意味で書かれているようです。

例えば、「今この瞬間の自分の人生を、壊滅的な状況に耐えようとする姿勢で探り続けると、その態度が最も暗い時でも私を励まし、生き延びる可能性が徐々に目の前に現れ始め」、人生を諦めるという態度で自分の人生を探究すると陰鬱な人生になる、など、今この瞬間の態度によって、人生の意味はつくりあげられていく。




ですが、「態度」には様々なレベルがあり、「私」にもさまざまな「私」が同時に存在することを、私は心理療法の中で感じています。


絶望の中にいて、打ちのめされて身動きがとれず、ただ息をしているだけのような「私」と同時に、この苦しみから逃れたい、光を求めたいと切望する「私」がいる。

誰にも踏み込まれたくないし、誰にも自分のことはわからないと思う「私」と同時に、誰かを求め、誰かと共にいたいと思う「私」がいる。

もう命を終わらせたい、生きていたくないと思う「私」と同時に、優しさや愛や慈しみに喜びを感じる「私」もいる。


そういういろいろな私が同時に私の中に存在するなかで、それぞれの「私」が取る態度もまた様々で複雑になります。

そしてまたそういう様々な思いをもち、態度をとる「私」とは別の次元で、呼吸は続き、心臓は鼓動を打ち、お腹は空いて、眠りに落ちていく。

今を生きる身体。


心理療法はいろいろなやり方があり、「人生の意味とは?」ということを語り合うアプローチもありますが、私が大切にしたいのは、こんなふうに、驚くほどたくさんの「私」が存在していることや、身体が今この瞬間どのようであって、何を感じ、どう動こうとしているのかということ。

そういうことを探究していくと、人生の意味を考える「私」の肩は力が抜けていきます。


これもまた、人生の呼びかけに対して取る態度の一つと言えるかもしれません。