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足跡をふりかえることの、特別な感覚

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10年に一度の寒波と言われた今日、私が住んでいるところは、昨晩から降り続いた雪が積もって、一面の銀世界でした。 転居が多かったとはいえ、ほとんど西日本で育った私にとって、雪は、何か特別な感じがするものです。 いつもとは違うように見える町。 車や人の往来が少なくなり、静けさが広がります。 鳥の鳴き声も、こんな日は聞こえません。 降り積もった新雪に足跡を残す。 たったそれだけのことに、心が躍るのはなぜなのでしょう。 一面の雪がうれしくて歩いた跡です 何もないところへ、自分が踏み込んだこと 一歩一歩を、ゆっくりと、しっかりと進めること その歩みが、何か特別な感じがすること そうして振り返ると、自分が歩んだ跡が見えること 新雪の中を歩くのは、こんな特別な感じを感じさせてくれるからでしょうか。 誰もがみな、生まれてから今まで、歩みを続けます。 その一歩一歩と進んできた足跡のない人は、一人としていません。 時折、止まっていたように感じたことがあったとしても、立ちすくんだその場には、いくつもの踏み跡があったことでしょう。 でもその足跡を自分で見て、感じることは、難しいことが多いかもしれません。 カウンセリングでは、クライエントさんの歩み、 一歩、一歩の足跡を 自分だけの、特別な歩みとして しっかりと感じていけることを目指しています。 「これが、私が歩んだ跡なのだ」という、 この特別な感じを、味わいたいと思います。

カウンセリングとカウンセラーへの感謝の気持ちの本質とは

私が心理職としての勉強と訓練を始めたころ、 「『先生のおかげです』とクライエントさんに感謝されるようなカウンセリングは失敗だよ」 ということを、何人かの先生に言われました。 無理のない自然な経過の中で、クライエントさんが、自らの力で変化していくこと、 カウンセラーの“おかげ”ではないと思うくらい「自然に起こったこと」で、 カウンセリングはなくていいや、と、自分でやっていきたくなるような クライエントさんが自らの力を自然につけて、自然に「卒業」していくようなカウンセリングが“良い”カウンセリングであり、カウンセラーとしての力なのだ、 ということを教えられました。 私が行っているカウンセリングのアプローチであるAEDP™セラピーはこれとは全く逆で、 カウンセリングにおける変容の経験が、人生における大きな体験の一つとして記憶に残るような、明確な体験を重視しています。 それが、カウンセリングの効果の重要な要素の一つであるという考え方です。 AEDP™セラピーの訓練を受けて思うのは、「感謝されたら失敗だよ」と言っておられた先生方がみな、私にとっては心に深く残る、非常に印象深い方であるという逆説的な思いです。 情が深く、人間性が豊かで、命や人生の真理を体現しているような深みがあり、 優しい声、そして眼差しがクリアなのにあたたかく 大きな存在感があります。 だから私の心の中には、教えを受けた先生方の存在がずっとありますし、 先生方に支えてもらってきた、先生方の“おかげで”今の私がいる、という 深い感謝の思いがあります。 このような思いは、心理職として、一人の人間として必要不可欠であることを、今の私ははっきりと感じています。 「生きていてよかった」と感じられることはいろいろあると思いますが、 人との出会いが意味あるものとして心の中に感じられるとういうことは、その大きな一つではないでしょうか。 だから私は、クライエントさんが私への感謝を示してくださったとき、 二重の意味で「よかったー!」と思うのです。 一つは、クライエントさんにとって、私との出会いとカウンセリングが意味あるものとして明確に体験されたということ、 そして、感謝の感情がもたらす喜びをクライエントさんが感じていること。 深い感謝は、人とつながり、自分自身ともつながりを感じるときに生まれてきます。 このようなクライエントさん

冬の寒さの中でいのちを感じる

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新しい1年がはじまりました。 カレンダーや時計のある生活の中では、「お正月」は特別な感じがしますが、でも一方で、散歩をすると、いつもと変わらない動物や植物を目にし、心が落ち着くのを感じます。 寒さが一層増すこの季節、葉が落ちてさっぱりと見える木々の中に芽吹きを見つけるのが、私はとても好きです。 これはヒュウガミズキの芽。ヒュウガミズキは、葉が落ちると同時にもう芽を出すのです。 ふっくらと大きなこの芽は、桜よりも少し早い時期に、黄色いかわいらしい花になります。 もみじの木の先にも、次の葉になる芽が。とっても小さな芽です。 冷たい空気の中、幹だけで立つ木々に、こんなふうな芽をみつけていくと、 命の流れとうごめき、 かわらずめぐる時間、 それを感じられて、 私はきっとエネルギーをもらっているのだと思います。 カウンセリングをもとめて来られる方の、寂しさや苦しさは、季節でいうと冬のイメージかもしれません。 でもその中に誰にでもある「生きようとするうごき」。 それは、この芽たちのように感じられます。 プシュキニアも、もう芽を出していました! 今年はいつもより開花が早いかも。 こんなふうに、「いのちのうごき」を感じながら、今年もやっていきたいと思います。 今年もよろしくお願いいたします。

「迷い」の意味とカウンセリング

「迷い」は、カウンセリングでよく出てくるテーマです。 離婚や転職などの、人生における大きな選択の前では、決断に不安を感じますよね…。 大きな選択に限らず、どちらがよいか、どうすべきかという迷いは、日々たくさんあると思います。 メニューを見てどれにするか時間がかかったり、どの服を買うかなかなか決められずに結局買わなかったりとか(←私のことです~💦) 事の大小や重要度に関わらず、「迷い」の前提には、自由があります。 自分で決める。自分で選ぶ。 だから、最善を選びたいし、無駄にしたり失敗はしたくない。 どんなに小さなことであれ、「どうでもいいような」ことであってさえ、そこには、自分にとって大切な何かがある、ということを示してくれています。 「迷い」がどのようなテーマでも、クライエントさんは既に「答えを持っている」ことがほとんどだなぁと思います。 だからカウンセリングでは、答えが出てくるというよりは、答えが見えるようになる、という表現の方が、私はしっくりくる感じがあります。 霧の中にいたけれど、霧がサーッとはれたような感じや、 真っ暗なトンネルの中で足元ばかり見ていたけれど、ふと顔を上げたら出口の光が見えた感じ、 枝分かれしている道にいて、自分が行く道だけがハッキリと見える感じ。 迷っている状態は不安定な感じだったり、苦しく感じたりするので、「早く答えがほしい」気持ちになります。 赤ちゃんから乳幼児期ぐらいまでの子どもは「迷う」ということがありません。小さな子どもは、自分の感覚のままに生きているからです。 そのような感覚(「直感」)は、自分の身体に、自分の内側の世界にあって、自分のコアが感じているもの。 直感を感じること。直感を大切にし、直感に従うこと。 カウンセリングでは、その直感に、静かに優しく気持ちを向けていき、直感をそのままに感じていくプロセスを進めていきます。 このプロセスは、ある程度時間がかかります。 事の大小にもよりますし、クライエントさんの心や環境の状態にもよります。 ですが、「時間がかかる」ことは、悪いわけでも、問題ということも、全くありません。 霧、トンネル、枝別れの道のようなイメージの状態そのものもまた、クライエントさんにとって大切な「何か」なのです。 霧や暗闇の濃さ、先が見えない道の険しさは、「時間をかけろ」「慎重になれ」というメッセージ。 そのメ

感情に振り回されるのは「悪いこと」じゃない

「感情に振り回されないようになりたい」「もう少し落ち着いていられるようになりたい」と言うクライエントさんは少なくありません。 自分の感情のアップダウンが辛いし、 そういう状態で物事をこなすのは本当に大変で、 そして、そんなふうな自分を恥じたり、不十分だと感じたり。 「自分はちゃんといられていない」と感じているお話は、よく語られます。 身体や心の「反応」は、とても自然なことです。 でも「こんなことで動揺したり緊張するなんて」と思うと、自分がいたたまれないような気持ちになりますよね…。 このテーマについて、伝えたいこと、大事にしたいことがあります。 それは、 反応自体は何も悪くない 、ということです。 他の人よりも敏感な(そう感じるような)背景や原因はさまざまに考えられますが、それが何であれ、反応自体は自然だということ。 それに、このテーマに注目しているというのは、もうすでに、反応に完全に巻き込まれてしまっているわけではないのです! なぜなら、①反応に気づいていて、②それを何とかしたい、と願う自分がいるのです。 完全に自分を見失っていたら、こういう思いは出てきません。 でも、そこまでわかってたとしても、その状態を自分でどうにもできない、というのが、辛いところだと想像します。 これに対しては、意識的にできることがあります。 ①と②までできているのはすばらしいです! その上で、ちょっとしたことをやってみるのを提案します。 それは、状況を変えることではなく、身体反応を変化させること、です。 しかも、「わざわざ」「時間をかけて」やることではなく、すぐその場でできることが便利です。 こういうとき、心臓がドキドキしているとか、肩に力が入っているとか、お腹がぎゅっとするとか、手が冷たくなるとか、身体がいろいろに反応していると思います。 なので、身体に働きかけるようなことが役に立つことが多いです。 大きく息を吐く。 逆に身体にもっと力を入れて(手をぎゅっと握るなど)、パッと抜く。 少し歩く。 目に留まったものを声に出していくつか言っていく。 トイレで用を足す。 これらは例ですが、微妙であっても、身体には何か変化が起きていると思います。 こういうことをいくつかやってみると、ピークの緊張感や動揺よりは、少しマシになるでしょう。 そしたら、さっきよりもちょっとマシになったかな?どうかな?と自

「明日に架ける橋」になる

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調べ物をしていて(一応、心理療法についての学術的なことです…💦)、サイモン&ガーファンクルの「明日に架ける橋」に辿り着きました。ふしぎ。 子どもの頃から耳にしたことのある歌ですが、改めて聞いてみて、とても響きました。 これって、カウンセリングのプロセスそのもの…! When you're weary, feeling small  When tears are in your eyes,  I will dry them all  疲れ果て、自分がちっぽけな存在だと感じ、 涙がにじんできたなら、 私がその涙を拭ってあげる I'm on your side  When times get rough  And friends just can't be found  Like a bridge over troubled water  I will lay me down  Like a bridge over troubled water  I will lay me down  私はあなたの味方。 つらいときも、 友だちがいないときも、 激しい流れに架かる橋のように 私が橋になろう When you're down and out  When you're on the street  When evening falls so hard  I will comfort you  どん底にいるとき。 ひとり街をさまよい歩くとき。 夕暮れがつらく寂しいとき。 私が慰めてあげる I'll take your part  When darkness comes  And pain is all around  Like a bridge over troubled water  I will lay me down  Like a bridge over troubled water  I will lay me down  私はあなたを支えよう 暗闇がたちこめ、 苦しくてたまらないときも 激しい流れに架かる橋のように、 私が橋になろう カウンセリングでは、クライエントさんを独りぼっちにしない、ということをとても大切にしています。 クライエントさんが抱えている辛い気持ち、 クライエントさんは、それをずっと一人で抱え、対処

「自分のペース」。どうやったらつかめるようになるでしょう?

20歳代のころ、とても仕事が忙しかった時がありました。 その業務を終えたあと、微熱が10日ほど続きました。風邪の症状はなく、ただ熱っぽくて重だるい。 あの10日ほどの微熱は、私の身心には過重すぎたことによる反応だったのかなと自己診断しています。 また私は、強いストレスが続くと、決まってぎっくり腰になりました。動けないぐらい重いのも、気を付ければ普通に動ける程度に軽いのも含め、これまで何度やらかしたことか…(泣)。 自分のペースではなかったときに、私はこういう「反応」が出ています。 前回のブログ は、「自分のペース」がテーマでした。 「自分のペース」。 これを感じ、知ること自体、簡単ではないですよね…。 自分のペースって何でしょう? どうやったらそれを感じることができるでしょうか。 モラハラやDVの夫と離れる決意をし、自分の「家」に暮らすようになったクライエントさんは、「本当にホッとしています!」「こんなに毎日が楽だなんて!」と言います。 パワハラをする上司や同僚、そこまでではなくても、周りを顧みないような一方的なペースで仕事をする人と一緒に働かざるを得なかった方が、職場環境が変わって、「なんてやりやすいんだ!」と晴れ晴れするお話も聞きます。 周囲に嫌な人や意地悪な人がいるわけではないけれど、毎日定刻に合わせて動かなければならない通勤や通学、 決められていたり、求められている時間で動かなければならないこと。 そこから解放されて、心身ともにホッとしたこと。これは、多くの人が経験していると思います。 自分のペースを感じるためには、環境からの影響ができるだけないスペースにいる必要があることを、こういうお話が示してくれています。 そのスペースは、空間でもあり、時間でもあります。 そういうスペースをとっても、自分のペースがわからない、という方は少なくありません。 子どもの頃に虐待を受けた人や養育者の関わりが強すぎた人、 いじめやハラスメント、暴力を受けたことがある人、 子育てや介護をしている人、 こういう方は、自分のペースがわからなくなっていることが多く見られます。 周囲が「良い/悪い」環境・人かどうかということに関わらず、共通するのは、周囲の人や状況に合わせざるをえないとか、本能的に反応・対応し続けなければならない、という点です。 周囲からの介入や圧力にさらされて生きてきた人

自分のペースをつかんだ先にあるもの

「生きづらさ」「生きにくさ」という言葉が用いられるようになったのは、40年ほど前のことだそうです。 社会の中で生きていくことの難しさ、 他者との関係の難しさ、 そして、自分自身についての難しさ、 「生きづらい」「生きにくい」は、これらが絡み合っています。 「生きづらい」「生きにくい」の背景には、自分のペースではない、という感じがあると思います。 スピードやものごとの理解、うごきかた、 身体や心が、何か合わない感じ、調整が難しい感じを感じていて、 それが積み重なって、疲れ、混乱、自信喪失、イライラ、孤独がつのってきた状態ではないでしょうか。 カウンセリングに訪れるかたは、経緯や、今の問題・テーマに違いはあっても、「生きづらい」感じを感じておられます。 クライエントさんがその辛さを抱えていらっしゃることに、とても胸が痛みます。 カウンセリングでクライエントさんが自分のペースを感じていくと、 そこに、変わることのなかった真の自分を発見されます。 真の自分を発見するまでの道のりでは、 これまで周囲へ適応しようと調整してきた試行錯誤の、たくさんの努力やエネルギーに気づきますし、 カウンセリングに来たことも、その「何とかしたい」という切なる思いからであったことに気づかれます。 自分がつかってきたそれらの力を振り返ってみると、 そのパワフルさに圧倒されたり、胸を張れるような誇らしい気持ちが湧いたり、 あんまりにもすごくて涙を流されることもあります。 クライエントさんが「真の自分」を発見する、その場に居合わせるというのは、 カウンセラーとして、言葉にならない体験です。 頑張って言葉にするなら、「胸がいっぱい…」でしょうか…。 これを体験したクライエントさんは、芸術的な表現をされる方もいらっしゃいます。 絵を描かれたり、作曲、写真など それらの自己表現がとてもすばらしいです。 アートの本質を感じさせてもらえる経験です。 そこまで至ったクライエントさんの努力に敬意を表するとともに、 一緒にその過程を進めたことに、感謝の気持ちを持ちます。 クライエントさんが自分のペースを感じていくこと自体が、カウンセリングでは最初からある程度の段階まで、とても重要なことだなと考えています。 この過程も試行錯誤。 クライエントさんと一緒に大切にしたいプロセスです。

怒りを「マネジメント」するために重要なこと

前回 、衝動的な強い怒りは、意識のコントロールが効きにくい、神経生理学的な反応であると書きました。 神経生理学的な反応というのは、身体の反応そのもののことです。 熱いものを触って手を引っ込めるとか、突然飛んできたボールにギュッと目を瞑るなどは、意識が及ばない反射的な反応ですが、これと同じようなことが脳の中で起こっています。 初めはある程度落ち着いて話していたのに、どんどんエスカレートし、”感情的”に怒っているような場合も、脳の中では、同じような神経生理学的な反応が起きていると考えられます。 ですので、強い怒りが生じているときは、目が見開き、身体に力が入り、顔が赤くなったりなどのような、はっきりとした身体的な反応が現れます。 ところで、感情は怒りも含めて「自然に」起きます。 「自然に」というのは、意識してとか、意図的にではなく、身体的な反応として起きるものです。 そうすると、それぞれの人の身体(の状態)によって、感情も異なって体験されます。 もう少しわかりやすくするために、脚の柔軟性を例に挙げてみましょう。 身体が硬いと、開脚範囲が狭いですよね。90度とか。(←私) さらに前屈すると痛み地獄…。もうムリ!限界!みたいな感じ。身体は余計に硬直します。 でも毎日少しずつ柔軟運動をしていると、脚は前よりも少しずつ広く開けるようになり、痛みは前よりもずっと軽くなっていきます。 そうすると開脚で感じる痛みは、感じつつも、大丈夫な痛みになっていきます。 感情もこんなふうに、いつもよりも少しだけ深く感じていくことを続けていくことで、感じられかたが変わっていきます。 衝動的だった怒りは、怒りをちゃんと感じつつも、衝動性がなくなっていく。 耐えがたかった悲しみは、やっぱり悲しいけれど、悲しみに圧倒されるわけではなくなっていく。 パニックになったり、頭が真っ白になっていたような動揺は、緊張や不安は感じつつも、どうしようか考えることができている。 アンガー・マネジメントのよいところは、「マネジメント」することというよりは、「怒り」に注目するということそのものではないかと思います。 自分はどういうことで「怒り」を感るのだろう? 自分の怒りは、周囲の人や自分自身に、どんな影響をもたらしているのだろう? そうやって注目していること自体は、自分の中で、何か変化をもたらしたいという真摯な思いからきて

アンガー・マネジメントではコントロールできない怒り

怒りのコントロールは、家族との関係や職場、教育などの場において、重要なことだと考えられるようになり、「アンガー・マネジメント」という、怒りを調整するプログラムやトレーニングがあります。 以前のブログにも書きましたが、「怒り」は自然な感情ですから、それ自体が問題というわけではありません。 それでも、怒りを他者にぶつけてしまうのは問題となる場合がありますし、強すぎる怒りを感じること自体、自分にとって辛いことでもあります。 怒りのネガティブなパワーが、他者に向かっても、自分に向かっても、問題だったり、苦しかったりします。 「アンガー・マネジメント」でよく示されているのは、怒りを鎮めるのではなく、「一呼吸置く」「10数える」「モードを変える」など、怒っている状態から距離をとる方法です。 そしてそれを意識し、練習するということが提案されています。 そうすると、衝動性が抑えられ、怒りの本当の意味や目的を理解し、それに応じた対応ができる、というものです。 そんなのわかってる~! って思いませんか? 気を付けることはできるんです。 だって、自分で「問題だ」と自覚しているし、「何とかしよう」とも思ってますから。 そうやってある程度意識できている範囲では、何とか怒らないようにできますが、 でも時々爆発してしまう。 ......そして落ち込む.....  そういうことはありませんか?(←私はあります💦子育てアルアルでございます) 「アンガー・マネジメント」のプログラムやトレーニングなどに取り組んでいても、最も難しい点はここにあると思います。 それは、怒りという、人間の生物的な反応の性質が十分に反映されていないことが背景にあると考えられます。 頑張って取り組んできたのにも関わらず、衝動的な怒りパワーは莫大です。そのパワフルさに圧倒され、自分の努力不足や能力不足のように感じてしまいます。 怒ってしまったこと、そのことで生じた問題に直面し、自分を恥じる気持ちも生まれてしまいます。 たいていの場合は、私たちは、自分が置かれている状況を意識したり、理解していて、怒りは感じても、その中で何とか対応しようとします。 でも衝動性のある怒り(これが問題とみなされるほうの「怒り」です)は、神経生理学的な反応なので、「考える」ときの脳神経よりもずっと早いスピードで、別の脳神経が反応します。 だから、せっかく