怒りを「マネジメント」するために重要なこと

前回、衝動的な強い怒りは、意識のコントロールが効きにくい、神経生理学的な反応であると書きました。

神経生理学的な反応というのは、身体の反応そのもののことです。

熱いものを触って手を引っ込めるとか、突然飛んできたボールにギュッと目を瞑るなどは、意識が及ばない反射的な反応ですが、これと同じようなことが脳の中で起こっています。

初めはある程度落ち着いて話していたのに、どんどんエスカレートし、”感情的”に怒っているような場合も、脳の中では、同じような神経生理学的な反応が起きていると考えられます。

ですので、強い怒りが生じているときは、目が見開き、身体に力が入り、顔が赤くなったりなどのような、はっきりとした身体的な反応が現れます。


ところで、感情は怒りも含めて「自然に」起きます。

「自然に」というのは、意識してとか、意図的にではなく、身体的な反応として起きるものです。

そうすると、それぞれの人の身体(の状態)によって、感情も異なって体験されます。


もう少しわかりやすくするために、脚の柔軟性を例に挙げてみましょう。

身体が硬いと、開脚範囲が狭いですよね。90度とか。(←私)

さらに前屈すると痛み地獄…。もうムリ!限界!みたいな感じ。身体は余計に硬直します。

でも毎日少しずつ柔軟運動をしていると、脚は前よりも少しずつ広く開けるようになり、痛みは前よりもずっと軽くなっていきます。

そうすると開脚で感じる痛みは、感じつつも、大丈夫な痛みになっていきます。


感情もこんなふうに、いつもよりも少しだけ深く感じていくことを続けていくことで、感じられかたが変わっていきます。

衝動的だった怒りは、怒りをちゃんと感じつつも、衝動性がなくなっていく。

耐えがたかった悲しみは、やっぱり悲しいけれど、悲しみに圧倒されるわけではなくなっていく。

パニックになったり、頭が真っ白になっていたような動揺は、緊張や不安は感じつつも、どうしようか考えることができている。



アンガー・マネジメントのよいところは、「マネジメント」することというよりは、「怒り」に注目するということそのものではないかと思います。

自分はどういうことで「怒り」を感るのだろう?

自分の怒りは、周囲の人や自分自身に、どんな影響をもたらしているのだろう?

そうやって注目していること自体は、自分の中で、何か変化をもたらしたいという真摯な思いからきていると思います。

よりよく生きたい、より楽に生きたい、

人とつながり、周りの人の中で生きていきたい、

そういう思いから自分自身のありかたに取り組んでいるのが伝わってくるようです。


ですから、怒りにまつわる自分自身について丁寧に注目してあげつつ、

怒りを抑え込むようなことに一生懸命になるのは止めて、

できれば、怒りのエネルギーを、安全にしっかりと感じていくことで、

結果的に、衝動性が下がっていきます。



強い感情は、感じるのは恐怖や不安を感じます。

安全に感じるというのは、開脚前屈をするとき、背中をぐいぐい押すことではなく、

息を吐きながら、ほんの少しだけ伸ばす…

そういうかんじ。


感情をしっかりと感じていく上で重要なのは、単に「怒っていい」とか「泣いていい」というのではなく、

大丈夫な範囲で「怒る」。「悲しむ」。


感情体験を大切にするカウンセリングで行っているのは、この「大丈夫な範囲」を守りつつ、それを広げていくことです。