心理士の急性神経症状体験記④ ~「主体」としての「私」がしていることは?
これまでの3回の記事で、私の個人的な体験をもとに、身体とその反応について書いていきました。 テーマはこちら。 ①身体とセルフ・コントロール :身体のなすがままではなく、自分でコントロールする ~普段の自己調整は土壇場で発揮される! ②トラウマとなる出来事と回復 :自分の気持ちや考えによってではなく、身体に委ねていく~身体はトラウマからの解放のすべを知っている 自分の身体に対して、①はコントロールする、②はコントロールを止める、という、身体と意思について真逆のことを言っています。 でも、共通することがあります。 それは、「主体」。 呼吸を調整するなど、身体や反応をコントロールしようとする「私」は、今、自分の身体はどんな状態なのかに注目し、意図的に身体へ働きかけをし、その働きかけがどんな変化をもたらしているかを観ています。 うまくいっている感じがあったら、それを続け、変化を見届け、 うまくいってないようだと感じたら、違う方法を試してみて、それがどう変化をもたらしているか観ています。 また一方で、前回の記事のように、身体に起こっていることをながめている「私」が、身体が求めているほうへ、動きたいほうへ身体にまかせていき、 身体に起きていること、身体が反応していることを、ただそのままに感じていきました。 どちらの「私」も、行っていたのは身体との対話(コミュニケーション)と言えます。 「私」は自分の身体を対象物のようにして観て、気づき、 身体を中心にしていく。 「私」に「」を付けているのは、 (痛いな~)(辛いな~)などと思って不快な気持ちや嫌な気持ちになっている〈私〉ではなく、 自分(身体)に起きていることに、「あー痛いんだな~」「あ~辛い気持ちはこんなふうに感じているなー」「私は嫌な気持ちになってるなぁ」と、ただ気づき、 それをただ眺めていたり、あるいは呼吸を調整してみたりする「私」。 こんなふうにしている「私」を「主体」という言葉に置き換えています。 これまでの記事で書いてきたように、突然の事故での症状や反応を自分なりにやりすごしたり、変化を起こしたりするのに活躍したのが、「主体」でした。 「主体」。 これは、カウンセリングの中でも、とても重要なポイントです。 これまでのテーマと切り替えて、次回は「主体」についてもう少し書きたいと思います。