続けられること、続くことが支えになる

私はヨガを続けて25年ぐらいになりました。

初めて経験してから、いろいろな種類のヨガに参加し、現在の先生のクラスは早10年経ちました。

約25年の間、引越しや出産等で途切れながらも、毎日の生活を送るのがやっとな気持ちだった時でも、ヨガだけは続けることができました。 

ヨガは好きですが、深めたり極めたりしたいほどの熱意があるわけではなく、

ヨガに行くのがワクワクするというのでもなく、

ヨガレッスンの日以外に、自分で取り組むということもありません。

でも、「ちょっとめんどくさいなぁ」とか「気が乗らないなー」と思うことは一度もありませんでした。


地味に続けられること、続くことは、生活の上で、生きてく上で、じんわりと役にたっていると感じます。

私の友人は、心身ともにダウンし、働くことも人と会うこともできずに辛かった時期に、毎日、新聞の中で心に残った一文を書き留めるということは続けられたそうです。

何とはなしにやっていたことだったけれど、続けられていたこと、続いていたことが、支えになっていたと思うと、回復の後に話していました。


これは、「〇〇をやろう」と思ってやっていくことではなく、日々の中ですでにやっていることの中にあるように思います。

それは、心や身体が、無意識に、自然と、行っているセルフ・ケアなのではないでしょうか。

そういう何でもないようなことに小さな重みづけが感じられた時、

回復が進んでいたり、何とか日々をやり過ごせていけるようになったりしていき、

そこに、「生きている私」が姿を現わしてくるように思います。



最後に、大好きなメイ・サートンの「独り居の日記」から。


私にできることといえば、瞬間瞬間を、一時間一時間を、生き続けることだけだーーー小鳥に餌をやり、部屋を片づけ、たとえ私の内部には築きえなくとも、せめて私の身の周りに、秩序と平和を創造することだ。


「独り居の日記」メイ・サートン、みすず書房