心理士の急性神経症状体験記➂ ~身体の記憶・身体の叡智
前回からの続きです。
治療は数日で終わり、無事に退院することができましたが、帰宅しても「ぼんやり」した感覚が続いていました。
だいたいは大丈夫だったのですが、何となく「本調子」ではない感じ。
そして、救急病院へ行ってから治療を受けるまでのことが繰り返し繰り返し思い出されていました。
こういう状態は、衝撃的な出来事を経験した後に生じる、自然な反応です。
そういう中、身体の反応や感覚に焦点を当てるトラウマ治療の心理療法のトレーニングで、クライエント役としてこの出来事を取り上げました。
心理療法のトレーニングでは、参加者がセラピスト役やクライエント役を実際に体験し、練習を積み重ねます。
「死なずに回復できたなら、この経験はトレーニングの練習の恰好のネタになる…」
救急救命センターに到着した時にボーッと考えたことを実現するチャンスです。
この心理療法(センサリーモーター・サイコセラピー)は、身体の感覚や動きなどに意識を向け、トラウマ反応となった心身の状態を変容させていきます。
練習のセッションで私は、自分の身体に何が起きているかに意識を向けて行きました。
初めは、身体がどんなふうかを観ていきます。
力が入らないような感覚、逆に力が入っていたことへの気づき。
それから、身体が求めているほう、動きたいほうを探っていきました。
頭の後ろにクッションを置いて、椅子の背にしっかりともたれかかると、大きな息が出てきました。
クッションが私に、「ゆったりしたほうがいい」と言っているのを感じました。
身体全体の重み、手の温かさがジーンと感じられ、
表情も身体も緩んでいきました。
すると右ひじ周りにピリピリした感じが出てきて、それがサーッと抜けていきました。
そのとたん、その場所から感情がサワサワと広がってきて、涙がこぼれました。
「怖かったなぁ…」と涙が言っていました。
思わぬ出来事で緊張が続いていたことに自分で気づかないままでいた中、
やっと出た涙でした。
また一つ大きな息。
すると、自分の身体の実感が戻ったことに気づきました。
身体も心も、変化した、ということを感じました。
自然な感覚、いつもの感覚が甦ってきたのがわかりました。
医学的な完治とは別の、身体経験としての「完治」。
「完治」というよりは「完了」や「変容」と言ったほうがよいかもしれません。
恐怖や緊張は、こんなふうに身体に留まっていたのです。
身体のペースに委ねていくと、身体のペースで緊張が解きほぐれていき、
そうしてようやく、凍結していた感情が自然と出てきました。
ピリピリを感じた右ひじ周りは、点滴や注射針を付けていたところでした(しかも途中で漏れて、深夜に何度か針を打ち直した痛みを経験していました)。
身体がもっている記憶。
身体に備わっている回復力。
普段は意識しにくいことですが、その深奥に触れる機会でした。
次回はこのシリーズ(?)の最後です。3回を通して書いたこと:
①身体とセルフ・コントロール
:身体のなすがままではなく、自分でコントロールする ~普段の自己調整は土壇場で発揮される!
②トラウマとなる出来事と回復
:自分の気持ちや考えによってではなく、身体に委ねていく~身体はトラウマからの解放のすべを知っている
①と②は、身体と意思について真逆のようですが、共通することがあります。
次回はこのことについて書きます。
※ここでの記述は私個人の一体験です。センサリーモーター・サイコセラピーのセッションは、人によって、また体験や症状によってそれぞれ異なるプロセスです。より詳しく知りたい方は日本センサリー モーターサイコセラピー協会のウェブサイトをご覧ください。