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誰にも言えなかったこと。それが世界へとつなぐ。

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3つ前のブログ で、スタンダップ・コメディアンのハンナ・ギャズビーを取り上げました。 ハンナは、これまで受けてきたたくさんの被害、被差別の経験の痛みを削ぎ落して「ネタ」にしてコメディにしてきたのですが、それが自分を世界から切り離してきたのだとわかり、痛みをそのまま伝える新しい「コメディ」をつくりました。 それが「ナネット」。 「ナネット」を発表した時に、ハンナはコメディアンを辞めると宣言しました。 でも自分自身の真実を伝えたことで、ハンナは逆に世界とのつながりを取り戻しました。 これが3つ前のブログで取り上げたことです。 タイで有名なシンハービールをはじめとする様々な事業を手掛ける大財閥の家族である シラヌード・スコットさんが、実兄からの性被害を公表 しました。 シラヌードさんもまた、自分が受けてきた被害を誰にも話すことができず、ようやく家族に打ち明けましたが、秘密にすることを求められました。 しかし、家族との間で起きた問題をきっかけに、真実を明らかにする決心をします。 「このことを長年抱え込んで生きてきて、もはや話さなければ死んでしまうところまで追い込まれていた。私は生きたかった」。 沈黙の強要は二次加害です。 加害者(加害社会)にとって、性被害や差別が明るみに出ることは、不利益であり、不都合なので、いろいろな理由や条件をつけて沈黙を求めます。 そうして強要された沈黙は、被害者の孤立と分断をもたらし、被害者はさらに苦しめられます。 被害を受けた時に助けがなかった上に、被害を伝えてもなお一人にさせられる。 沈黙の強要は、加害側がもつパワーによって有効になります。 苦しんだ末に告白をしたシラヌードさんは、SNSのなかで共感と支持を得たそうです。 さらに、沈黙させられていた人たちが#Me Tooと発するきっかけとなり、シラヌードさんも他の人たちも、自分は一人ではないのだという大きなうねりが生まれました。 「公表したことで、外の世界にはこれほど多くの光があると知ることができた」。 今までとは違う人との、今までとは違うつながり。 今までとは違う自分自身とのつながり。 心理療法でも大切にしていることです。 ※文中の青文字のリンクはヤフーニュース。こちらは毎日新聞の記事です(有料)。 特派員発 世界は今 「兄から性的虐待」タイの有名ビール創業家 告発後の思わぬ反響

泣くまいという決意。泣きたいという切望。

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私はよく泣く子どもでした。 泣くというよりは、涙を流す。涙が流れる。 記憶に残る前の小さい頃は、「ちょうちょがいた」と泣き、「アリがいた」と泣いて家に戻ってきたと聞きました。 怖かったからなのか、驚いたからなのか、感動したからなのか…。 もう少し大きくなって覚えているのは、静かに泣いていたこと。 コップの水があふれるように涙が目から流れ、声をたてずに泣いていました。 そういう私でしたが、「もう人前では決して泣くまい」と決意したことを覚えています。 小学校3年生のとき。 学校で、毎日のように嫌なことを言ってくる子がいました。 からかいのようないじりのような軽いものだったのだろうと、今は思います。 でもその時の私はとても嫌で、逃げ場もなく、毎日のように学校で涙を流していました。 でもある時、「泣いても何も変わらない」ということがハッキリと頭に浮かびました。 そして、「もうこんなふうには泣くまい」と決意したのです。 それはちょうど幼児期から思春期へと移っていく自我の目覚めでもあったのだろうと思います。 そこから私は、自分と世界の間にひかれた心の境界線を次第に強く感じるようになっていきました。 「涙の箱」ハン・ガン 作 / きむふな 訳、評論社 AEDP®セラピスト仲間の 向裕加さん から、こちらの本をいただきました。 主人公の女の子は、嫌なことだけでなく、みんながまるで予測も理解もできないところで涙を流すことから「涙つぼ」と呼ばれていました。 「涙つぼ」は、涙を集めて売買している不思議なおじさんに付いて、旅を始めることになりました。 おじさんは、涙を注文したお爺さんのところへ向かっていました。 赤ん坊の頃以降、一度も涙を流すことがなかったお爺さんは、おじさんが集めた「涙の結晶」を全部購入して…。 この物語は、泣くべきことに、しっかりと哀しみを感じて涙を流すことがどのような人生の体験をもたらすかということを示しています。 それはAEDP®セラピーが大切にしていること。 子どものころに泣いてばかりだった私は、今は年のせいで涙もろくなりましたが、それよりもセラピーを通して、涙の大切さを深く知るようになりました。 「時おり、予想外の瞬間に、私たちを救うために訪れてくれる涙に感謝する。」 作者のハン・ガンさんのあとがきの言葉です。

わたしらしい「つながり」の経験とは

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前回はハンナ・ギャズビーのTEDトークを取り上げたのですが、このトークで印象に残ったことがもう1つありました。 それは、「つながり」という体験の多様性です。 ハンナは自閉症を持っている背景があり、考えていることをそのまま話すということに困難を感じています。 頭の中では、独創的な象形文字のような形で思考し、物事を深く考えていますが、それを“翻訳”すること、つまり他の人との共通言語として話すことに困難があるそうです。 コミュニケーションの困難に加え、自分の傷をネタにしてコメディをしてきたことで、自分自身を切り離してきました。 その深い孤独。 人と話すのは難しいけれど、スタンダップ・コメディアンで大成功しているという不思議。 「ナネット」の大反響からハンナが発見したのは、スタンダップ・コメディを 介して 人とつながる、という体験でした。 神経多様性のために、人の話を聞いたり、自分から話したりという形でのコミュニケーションによって人とのつながりを感じるのは難しかった。 でも、自分にとって得意な形で提示したものを、聴衆が受け取り、感じ、反響する。ハンナは、それを通して、自分が世界とつながっているという実感を得ました。 直接人と話をしたわけではないけれど。 こういう、「つながり」の形もある。 太陽の光でオレンジがさらに鮮やかに。 左端の黒いのはうちのワンコ。 このTEDトーク、最後にハンナが言います。 「つながりは、私だけがつくるものではないのです。みなさんも参加するから、つながりができるのです。」 ハンナのように、自ら何かを提示できる人は多くはありません。 でも、提示されたものを、受け取ること、そこから感じていくことで「つながり」は生まれます。 「ナネット」だけでなく、好きなもので。 音楽や小説、どんなことでも。