怒り、という大切な感情 ~“怒りを感じられない”
怒る、って簡単ですか? それとも、難しいですか? まず、「怒り」の感情は、とても自然なものだということを最初に言いたい。 この「自然さ」は、悲しいとか、うれしいとか、楽しいとか、寂しいとか、そういう、他の様々な感情と同じで、身体と心が反応し、生じるもので、それに良いも悪いもない。 それをまず最初に書いておきたいと思います。 そのうえで、怒りの感情は、自分自身に対しても、周囲の人に対しても、とても大きなパワーを及ぼす感情なので、「取扱い」はなかなかやっかいなところがあります。 私は、配偶者やパートナーから暴力を振るわれている人の相談に数多く対応してきました。 また、マイノリティの、差別や不当な扱いについての相談もこれまで数多く対応してきました。 そういう相談を受けてきたなか、「被害者」のほとんどは、「加害者」に対して、怒りを感じていないことが多いなと思います。 怒りを感じなくなっている背景には、こんなことがあります。 相手に怒りを見せたり、ぶつけたりすることで、より危険な目にあうので、護身として怒りを鎮めてきた 相手に怒りを示しても、状況は何も変わらないか悪化するので、我慢することのほうがマシな選択として積み重ねられてきた 自分の怒りを否定したり、馬鹿にしたりされるので、怒りを感じている自分のほうがおかしいのではないかという経験が積み重なってきた 「怒るほどのことではない」「怒るあなたがおかしい」「怒るなんて大人じゃない」といったメッセージをあまりにも受けすぎて、怒りを感じる自分を、自分で抑圧してきた 怒りを見せても、誰も取り合ってくれなかったり、何も変わらないという経験のために、自分は無力だということが常態化してきた 大切なはずの相手にたいするあまりにも強い怒りは、自分の状況や存在や歴史を否定するような感覚になるため、怒りを感じたくなかった どの人も、どれほど孤独に怒りに耐え、怒りを抑え、怒りを隠してきたかということが見えます。 だからまず、カウンセリングにアクセスしてくれたことを、本当によかった!と心から思います。 どんな感情も、一緒に感じてくれる、その気持ちを知ってくれている、受け止めてくれる「誰か」の存在がとても重要ですが、「怒り」はそのなかでも、最も「誰か」を必要とする感情なのではないか、という感じがします。 その怒りは正当なものだ、と その怒りは大切なもの...