ホンモノ、の体験

あなたが、深く深く心を動かされたとき。

その感覚はどんなものでしたか?

その感覚の確かさ。それは、あなたにとって、まさに真実な感じだったのではないでしょうか。

その感覚、体験について、思考を巡らせれば、何が良かったとか、どうしてそう思うのかとか、そういうことを言い表せるかもしれません。

でもその考える前の、言葉にする前の、その感じ。

その感覚は、あなたに、

あなた自身が体験しているのだ、

あなたが実際に知ったのだ、

あなただけの、誰のコメントも侵入することはない、あなたの感覚なのだ、と

告げているのではないでしょうか。

この、「ホンモノ」だと感じる体験。



メトロポリタン美術館で、ゴッホの絵を見ました。

初めて実物を見ました。

あの、油絵の具のもりあがるうねり。質感。

立ち止まって動けませんでした。

写真で見た絵は、興味を持つでも持たないでもない、私にとっては、何でもないものでした。

でも本物は違いました。

ゴッホの筆の力が、私に響き、その力で身動き取れないような衝撃がありました。

「待ち合わせの時間だから行かなきゃ」と頭の声で一生懸命自分に言い聞かせて、その場を去ったのを覚えています。


本物のもつパワー。



プライバシーがとても大切な心理カウンセリングでは、他の人の実際のセッションを知る機会は基本的にありません。

心理職は、研鑽の機会として、グループ・スーパービジョン(ケースについての指導を集団で行うもの)や事例検討会があります。これは、提出者(スーパーバイジーと言います)のケースをもとに勉強する機会ですが、一般的には、スーパーバイジーが作成した資料をもとに検討を進めます。

ですので、セッションのリアルな場面にふれるものではありません。


ところがAEDP™セラピーのトレーニングでは、講師が、自分が行った実際のセッションの動画を提示し、解説してくれます。

研究所の教員であるセラピストの、実際のセッション動画は、本当にすごい。

すばらしさは衝撃的で、ずっと余韻が残ります。


そういう、「ホンモノ」にふれて、感動、感嘆したあと、さて自分を振り返ると、自分の未熟さや至らなさ、問題点ばかりが目につき、がっくり落ち込みます…。

自分の限界を思い知らされるような気持ち。

でも本物を知ってしまった以上、もうそこからは目を背けられない。

「アマデウス」のアントニオ・サリエリって、こんな気持ちかしら、と思ったりします。至上のものを知る力はあっても、自分にはそれはないと知る力もある。そういう無力感のような…。

それでも、なんとか自己嫌悪を抑えて、一歩でも進まなければ…と思って、やっています。


なぜならそれは、クライエントさんの人生に関わっているからだという思いです。自己完結していいことではないので、職業として責任を持ちたい。

それは絶対に手放さないと、心に決めています。



それでも、「ホンモノ」が、カウンセリングのセッションで確かにあると、

それを私は体験しているし、知っています。

クライエントさんが、今、ここで、私と一緒に、深い深い、真実の体験をしているとき。

そういう「ホンモノ」の体験は、カウンセラーである私にも伝播し、共鳴し、私の中でもまた、その真正さの体験が引き起こされるのです。

この「ホンモノ」感、表現が難しいのですが、一言で言い表すならば、「すばらしい」でしょうか…。

心が揺さぶられているとか、じんわりと響いているとか、そういう体験。

身体で感じているので、なかなか言葉になりにくいのですが。



心理カウンセリングは、理論と技術によって行われるものですが、アート(芸術)の側面もあるのは、こういうところだと思います。

このホンモノ感。


生きることはアート。

だからカウンセリングも、アートなのだと思います。