同じものを共に見る
私の50mほど前を歩いている人がいました。
彼はふと立ち止まり、しゃがみこんでスマホで写真を撮り、また歩き出しました。
彼が立ち止まった地点に私が辿り着いたら、そこにはこんな花が咲いていました。
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コンクリートの割れ目から咲く花。
可憐だけれどたくましさを感じ、ステキだなぁと思いました。
そして、私もシャッターを切りました。
同じものを見て、同じように手が動いて写真を撮る…
そのことに、じんわりと心があたたまりました。
「共同注視」は、同じ空間の中で同じものに注意を向けることを意味します。
これは子どもの成長とともに現れてきて、他者との関係をつくる上で重要な機能をはたします。
注意を向ける対象を共有することで、より複雑なコミュニケーションが行われるようになり、より複雑な理解が可能になっていきます。
前を歩いた男性と私は、この花を同じように見て、何かを感じ取る、ということが起きました。
ほんの小さな、取るに足りないような瞬間、これが私を世界につなげ、私が世界の中で生きていることの実感へとつながっていきます。
カウンセリングで行うのは、この「共同注視」の作業と言えます。
クライエントさんが抱えるテーマ、クライエントさんが感じる様々な思いや感情、クライエントさんの中にいるいろいろなクライエントさん。
カウンセリングを始めたころは、クライエントさんはこれらを一人で抱え、そのためもあって、自分自身と一体化しています。
それを少しずつ切り離しながら、クライエントさんとカウンセラーの、「私たちのもの」として一緒に見ていきます。
この「共同注視」の状態にまで至ると、カウンセリングはグッと進み深まっていきます。
それはまるでこの写真の花のようなのです。
コンクリートの割れ目から萌え出た花。
(クラエイントさんの内側に)隠れていたものが現れてくるとき。
クライエントさん自身も見て、感じることができるし、私が見て感じていることを、クライエントさんが知ることができます。
それはすでにコンクリートの下にあったもの。
それを一緒にみつめる、そういうプロセスです。