通い合う「気持ち」 ①

誰かと一緒にいるというのは、「気持ち」をやりとりすること。

「気持ちを受け取る」のタイトル記事に書きました。


でもこれは、簡単なことではありませんね…。

私たちの悩みのほとんどは、人間関係からきますから。

人間関係が表立った問題ではないように見えても、背後に、人間関係のテーマが腰をすえていたりします。


「気持ち」は、「…すぎる」というのが苦手です。

気持ちを贈りすぎる

気持ちを贈らなさすぎる

気持ちを受け取りすぎる

気持ちを受け取らなさすぎる



気持ちを贈りすぎているとき。

贈り続けるのは、相手が受け取ってないと感じているからでしょうか。

相手が求める通りのものを贈っているはずなのに、と。

それで、贈り方がよくないのかと思い悩みつつ、手を変え品を変えて工夫したり。

どうやっても、いつまでたっても、相手が受け取ったと感じられず、焦燥感、自責感、罪悪感のような気持ちがわいてきませんか。受け取ってくれない相手への怒りや苛立ち、自分への意地を感じるかもしれません。



気持ちを贈らなさすぎるとき。

私の気持ちなんて相手には必要ないだろう、と思って贈らないのでしょうか。

それとも、受け取ってもらえないかもしれないと思うと足がすくむでしょうか。

相手は、贈る必要がないと感じる人なのでしょうか?

それとも贈ろうとしている思いや言葉を、相手に先に気づいてほしいと願っているのでしょうか。

贈らずにため込んだその思いや言葉はどんどんたまって、息苦しく、出口の見えない孤立感が大きくなっていきます。



気持ちを受け取りすぎるとき。

せっかく贈ってくれているのだから、受け取らなければ、と思ってしまうのでしょうか。

それとも、相手が満足するために受け取っているのでしょうか。そうすれば、やたらめったら贈るのは止めてくれるんじゃないかと期待して。

受け取りすぎているとき、相手の気持ちが自分の心のスペースをどんどん占領して、自分の心のためのスペースを侵食していきます。

その圧迫に苦しさ、怒り、不安が生まれてきます。



気持ちを受け取らなさすぎるとき。

冷たい気持ちや強い気持ちは、受け取るのは勇気がいるものです。

でもあたたかい気持ちややさしい気持ちも、受け取るのは勇気がいるのかもしれません。

受け取るのは怖いでしょうか。

どうやって受け取ればよいか、そして、受け取ってどう反応したらよいか、戸惑うでしょうか。

受け取らないと、自分は守られたような安心感がある一方で、相手との距離も感じるでしょう。その距離がまた安心かもしれませんが、孤立感を生むかもしれません。



どれも、せっかく「気持ち」をやりとりしようとしているのに、つながることができません。

どうやったら、「…すぎる」ではなく、ちょうどよいぐらいだと気づけるでしょうか。

自分にとっても、二人にとっても。



それは、それこそが「気持ち」が知らせてくれています。

続きは次回で…。