人生100年時代の「こころ」
前回のブログで、高齢者の心理療法について書きましたが、5月3日に同じテーマの記事が掲載されていました。
※有料記事です。
記事は、イスラエルの、高齢となったホロコースト生存者のトラウマについて書いています。
ホロコーストは何十年も前の出来事ですが、人生の晩年になってから症状が出始めています。全体の約半数の人々が、このように、トラウマとなった出来事から20年以上たって発症していました。
晩年になるまでは、同じような経験をした人々の社会の中で生きてきて、若い間は、気力や体力で記憶を押し込めることができていましたが、加齢とともに、その「重し」が失われていくことが背景にあると考えられています。
確かに、「若い間」は、やることが山積みの毎日です。
とにかく仕事。収入を得るなどして、食べていかなければなりません。戦後の混乱の中では、これは何よりも大きな問題だったでしょう。
子どもがいれば、子どもの世話や、日々の雑事で毎日はあっという間に過ぎていきます。
そんなふうに大変な中でも、「若い間」であれば、人と出会い、つながる機会が多くあります。ちょっとした喜びや笑い、大変な中でホッとする瞬間をしみじみと感じることもできるでしょう。
ですが高齢になると、そういうことが、一つひとつ失われていきます。
退職や子どもの独立は、重荷からの解放ですが、これが「重し」を失うことにもなります。
しなければならないこと、できることが少しずつ少なくなっていく。
そういうなかで、心の中にあったものが、以前よりも、より大きなものとして立ち現われて来るのは想像に難くありません。
人生100年時代というのは、「こころ」にとっても、新しいテーマが現れてくる時代なのだと思います。
晩年になってようやく、晩年だからこそ、やっと現われてきたもの。
「こころ」にとって、大切な、大きなテーマ。
第二次世界大戦の加害と被害の両方を経験する日本。
多くの大災害を経験してきた日本。
この「晩年性PTSD」は、社会としても、一心理臨床家としても、重要なテーマだと感じています。