癒すに時あり。癒されるに齢なし。
祖父が亡くなる、その最期のとき、私はそばにいることができました。
祖父は私を大切にしてくれましたが、性格なのか時代背景なのか、ちょっと近寄りがたい感じがある人でした。
数年の闘病を経て、臨終のとき、その祖父が、ものすごく優しい表情をしていました。私が知っている、緊張感を感じるような寡黙な顔ではなく、この上なく柔らかくおだやかで、微笑んでいるようにさえ感じました。
私は、天使がいる、と思いました。
おそらく、痛みや苦しみから解放されていたのだと思います。
そのお顔の周りは明るく光って見えました。
悲しいはずの別れのときに、私は不思議な安心感や満たされた感じがしたのを覚えています。
「おじいちゃん、よかったなぁ…」と。
大正から平成を生きてきた祖父は、個人としても、時代としても、複雑で困難も多かっただろうと想像します。
何があったか、どんな思いで生きてきたか、当時の私にそれを聞く力はありませんでした。例え今も生きていたとしても、聞くことはやはりないのだろうと思います。家族とは、そういう距離感があるのかもしれません。
やさしい表情で逝った祖父の最期は、大きな癒しと解放の時間だっただろうと思います。それが祖父にとってどんなことだったか、聞くことはできませんが、私の中にこうして遺してくれた記憶、それは「癒し」でした。
人は、癒されるべき生を生きていると思います。
そして、癒されるに年齢は関係ないと思います。
むしろ、「高齢者」と呼ばれる年代の方々にこそ、癒されることが、人生の中で重要だと思います。
戦中、戦後の激変の時代を生きてきた方々。
社会的な抑圧や差別、経済的な困難。それらを我慢や努力で耐え忍ぶことを求められてきた時代。
この時代背景は、お一人おひとりの人生にさまざまな影響を及ぼしてきただろうと思います。
「癒し」とは何か。
これは大きなテーマですが、誰もが何となくイメージするものとしては、
深い安堵感、からだも心も解き放たれたような軽さや、鎮まり落ち着いている感じ、あたたかさや満たされたような感じ。
こんな体験をイメージされるのではないでしょうか。
私が行っているAEDP™セラピーは、「癒し志向(healing oriented)」が特徴の一つです。
心の中にあって、まだ十分には体験されていない深い感情を、安全に、しっかりと感じることを通して、癒しや変容、成長を感じていく特徴があります。
今これを読んでくださったあなたに、「癒す時」が、どのような時にでも、何歳であっても、訪れますように。