感情を知る、自分だけの時間、自分のペース
私は子どもの頃、両親から、「何を考えているのかわからない」と時々言われていました。
どういう状況で、なぜそう言われたのか、そういうことはすっかり忘れてしまっているのですが、この言葉はずっと残っています。
言葉は、一度口から出たら、もう自分のものだけではなくなり、それを聞いている人のものにもなります。
そして一度出た言葉は、ずっと長く、ずっと遠くまで生き続けます。
その時の文脈を越えて、浸み込んだ人の心の中で遺っていきます。
私は子どもの頃、喜怒哀楽の表現があまりハッキリと出ないタイプでした。それで両親にそんなふうに言われてたのでしょう。
確かに、大喜びして飛び上がるとか、ワンワン泣くとか、大声で怒るとか、あまりそういう記憶はありません。
自分からどんどん話すほうでもなかったので、余計に、周りからは「何を考えているかわからない」と受け止められていたのかもしれないなと思います。
「何を考えているかわからない」と言われて覚えているのは、そう言われて、それこそどう応答したらいいかわからない気持ちになっていたことです。
考えや気持ちがない、と自分で思ったことはなかったのですが、それを言葉にし、口に出し、人に伝えるのが、あまりスムーズにできない感じは確かにありました。
これって、どんなふうに言えるのだろう。
どういうふうに伝えることができるのだろう。
そんなふうな、戸惑いのような感じが付きまとっていたなぁ、と思います。
以前に、山は黙々と歩くのが好き、ということを書きましたが、それと同じで、私は書く方が話すよりも気が楽だったのを覚えています。
ドラマ「メイドの手帖」の主人公アレックスは、DV被害を逃れて必死に自立しようとする中、書くことだけは続けてきていました。アレックスはDVシェルターの文章教室でこんなふうに言っています。
私は書くことで正直になれるし、自分の気持ちを知ることができる。
何を書きたいか知るために書くの。
真実は声に出すより紙に書く方が簡単だったの。
誰にも邪魔されないし、“お前が間違ってる”とは誰も言えない。
それはあなたが間違ってないからよ。
自分の言葉だもの。
クライエントさんの中には、「感情がわいてこない」「感情が感じられない」「どうやって気持ちを感じるのかわからない」と言う方が少なくありません。
でもそれは、感情がない、ということでは決してないのです。
感情は奥の方にあるけれど、その場、そこにいる人の状況をよくみていて、自分のことが後回しになっている人がいます。
感情を出すことでのネガティブな経験が重なって、ほとんど無意識なレベルで感情が大きくならないようにストップをかけている人がいます。
感情を実感として感じるまでに、ある程度時間が必要なタイプの人がいます。
だから、感情がないわけでも、感情をスムーズに感じるのが「下手」なわけでもない。
みんな、その人それぞれの、気持ちを感じ、それを知り、受け止め、人と交わす、自分特有のペースや方法があります。
私が行っている心理療法の先生がセッションビデオの中でクライエントさんにこんなふうに語っていました。
ゆっくり、話しましょう。
早く話したら、気持ちを感じるのは遅くなるんですよ。
少しペースを落としませんか。
そうしたら、感情が追いついてきてくれるんです。
カウンセリングでも、私は度々、「ゆっくりいきましょう」と伝えます。
「ゆっくり」は、自分のペースをつかむための時間。
そして、感情が、自分に近づいてきてくれるための時間なのです。
感情が自分に十分近づいてきてくれて、自由にいてくれるまで、ゆっくりと時間をつくること、そして、自由にいられる安心な状況をつくること。
これは誰の「こころ」にとっても大切なことだと思います。