他者の怒りに直面したとき②
このブログは前回からの続きになります。
他者の「怒り」に直面するなかでのポイントとして、怒りと攻撃を分けること、そして、攻撃は受けるがままになっている必要はない、ということを書きました。
他者の怒り/攻撃とはいっても、「他者」が誰で、どういう関係で、どういう場面かによって、できる対応、してもよい対応はかなり違ってきますし、個別性が大きくなります。
そこで今回は、対応の方法ではなく、中核と考える二つの要素について書きたいと思います。
まず一つ目は、一人にならないこと。誰かとのつながりをもつこと。
これは怒り/攻撃を受けているその場面で、という場合もありますし、心の中で、という意味もあります。
他者の怒り/攻撃の圧力はとても大きく、受ければさまざまな感情反応が起きます。その反応には、ベーシックな感情そのものあれば、その感情から派生する考え、そしてその考えによって生じる感情など、さまざまなものがあります。
恐怖。ショックや驚き。怒りやイライラ。悲しみ。不安。あきらめや投げやりな気持ち。自己嫌悪や自己否定感…。
こうやって自分の中に起きた感情反応は強烈なので、自分の感情だけで手一杯、目一杯になります。それはしんどい。相手の怒りに落ち着いて対応することは簡単ではありません。
私も家族にイライラをぶつけられたら、ものすご~くイライラしてきます!(逆もよくやってしまってますけど💦)
お伝えしたいのは、ご自分の「キャパ」の問題だというような方向で考えなくてもよい、ということです。
このとき、二者間に生じた火に油を注ぐ、なんてことをしない誰かの存在は、緩衝材になったり、小休止をもたらしてくれます。
お母さんに怒られた幼児が、「ママなんか嫌い~!」と泣きながら走っていくパパとかおばあちゃんのような存在。その時に、「ママ、なんてことをしたんだ!」って言わない人。「そうか、そうか~」と抱っこして話を聞くような存在です。
大人であれば、上司のハラスメントの場合は、二人にならない場へ。お客様であれば、複数で対応する。通りすがりの人は、警察や管理者。子どもの怒りは、パートナーと共有などなど…。
その誰かにそばにいてもらい、怒りのもとになっていることを共有し、ヘルプを得て、みんなで解決していくことができれば、怒りのエネルギーは適切に処理され、無用な攻撃の拡大を避けることができるでしょう。
ですが、そういう「もう一人の誰か」がいない、いたとしても難しい場面や関係もありますよね。
配偶者やパートナーからの怒り/攻撃。子どもから怒りをぶつけられているときのシングル親。親から怒りをぶつけられる子ども。孤立した職場や学校…。
そういうときには、心の中で、誰かとぜひつながってほしい。
攻撃にあてられて一人であっても、その時に心の中の人とつながりを感じる。その後で、その人とその恐怖や不安やショックなどを共有する。
辛かったね。怖かったね。
よく一人で耐えたね、って言ってくれる人と。
例えばDV被害者とのカウンセリグですが、とても大切なことの一つがここです。
DV被害者の孤立感はとてつもない。ずっと一人で耐えている人がほとんどです。
その人がようやく支援をもとめて手をのばしている。
被害者の日常の流れの中に、恐怖や不安、疲労困憊や混乱ではない時間ができること、被害者の生き抜く力を引き出す支援者との信頼の関係が生まれることが、被害者の支えとなり、そこから、日常の流れが変わっていきます。
「もう一人の誰か」は、近しい人でなくても、このように支援者(カウンセラーなど)でもいいし、SNS上でも、どういうところや人でも構いません。
支えられている、この人はわかってくれる、と心から感じられるなら。
その人はきっと言うと思います。
「そんなに我慢しなくていいんだよ」
「そんなひどい暴言を吐かれるほど悪いことはしてないよ」
「あなたは悪くない」
って。
信頼できるその人の言葉を、ぜひ、心の中にとどめる時間をとってほしい。
そして、心の中に、その言葉を置いておくスペースをとってほしい…。
一つ目のエッセンスは、信頼できる他者の存在、他者とのその信頼の関係。
長くなりましたので、二つ目は次回に続きます。