他者の怒りに直面したとき①

これまで、自分自身の怒りの感情について書いてきましたが、今回は他者の怒りに直面したときについて書きます。


他者、といっても、いろいろな状況や関係性があります。

家族の怒り。

友人・知人の怒り。

職場の上司や指導者の怒り。

お客様の怒り。

通りすがりの人の怒り。

インターネット上の怒り。


これまでのブログで書きましたが、怒りの感情自体は、自然で理にかなっており、とても大切な感情です。

ですから、怒りが大切な感情である、ということをみんなのものにするためには、怒りの作法や共通ルールのようなものがあるといいのかも…。

この作法や共通ルールの前提として、怒りの感情と攻撃行為を分けることがあります。

怒りはOK。でも攻撃はNG。

他者の怒りを受けて耐え難くなるのは、攻撃を受けている状態だと思われます。

攻撃の形で怒りを表す人を相手にするのは、とても難しいことです。

なぜなら、攻撃のパワーに傷ついたり辛くなったりするだけでなく、攻撃する人はたいてい、攻撃を正当化することが多いからです。自分には怒る理由があるとか、怒るに相当することだからだと考え、その攻撃を正当化します。

そういう人を相手に、「怒りは聞きますが、攻撃は受けません」と言っても、すんなりとはいかないことのほうが多いでしょう。それどころか、攻撃がさらに大きくなる傾向があります。

「怒りの作法のようなものが必要なのではないか」と書いたのは、ここに理由があります。

つまり、怒ってもいい、でも攻撃はだめだ、ということがみんなの共通のものにならなければ、他者を攻撃する人の自己正当化は止まないからです。


さらに問題なのは、攻撃をする人は、攻撃ができる人、ということです。

攻撃ができる人というのは、力を持っている人。

社会的・経済的地位、男性性、年齢…

人に限りません。組織も国も、より大きい力を持っているから攻撃できるのです。

大きなレベルで平然と行われているのですから、問題は個人と個人の間だけではありません…。


とはいえ、前進もあります。

ハラスメントの言葉が浸透し、法制度ができたのは、攻撃は受け入れられないものだという社会的認識となりました(まだ途上ですが…)。

DV法や児童、高齢者、障がい者に対する虐待防止法、いじめ防止の法律も同様です。他者への攻撃はNOだという共通ルールです。

ヘイト・スピーチやインターネット上の誹謗中傷への取り組みはまだまだですが、少しずつ進んでいます。



怒りはOKだけど攻撃はNGということを共通認識にしていく一方で、対等で開かれたコミュニケーションが重要になります。

どういうことが「攻撃」なのか、どういうことはNOなのか。これは、その場で、その個別の関係で繰り広げられるコミュニケーションから生まれ、創られる作業です。

私は、怒りは「マネジメント」するものではなく、マネジメントするのは攻撃のほうではないかと考えます。

攻撃性は自分の内的な世界で行う作業であり、また同時に、他者との間でも調整していく作業になります。

文化や立場やその他もろもろの違いをこえてつながるための、粘り強く丁寧な作業が大切です。



他者の怒り(攻撃)について長々と書いたのは、攻撃を受けた人が、こういうことを理解しておくことが役に立つと思ったためです。

怒りと攻撃を分ける。

攻撃を受けるがままになっている必要はない。


その上で、相手からの攻撃に対してどう対応するかについては、次回のブログで書きます。