親に対する罪悪感の苦しみ

 「親を捨ててもいいですか」のタイトルのブログの終わりに書いた、罪悪感についてもう少し書いてみます。

このテーマ、ウェブ上でたくさん取り上げられています。


親子問題がテーマ(たいていは母と自分の関係)のカウンセリングの中で語られる罪悪感は、自分が親を満足させられない、親を大切にできない、ということからくるものです。


ところで、そもそも「罪悪感」は、文字通り、自分が行った罪や悪行に対する感情で、自分が悪かった、自分は良くなかったと思うときに感じる感情です。また、自分が十分しなかった、できなかったと考えるときにも罪悪感は生まれます。

罪悪感は、自分が自分を責める感情です。


すると、そもそも「罪」とは何か?というテーマがあります。

罪は、さまざまな側面があります。

法的、社会的、宗教的、慣習的など…。


でもカウンセリングで語られる罪悪感は、ちょっと違うように思います。


クライエントさんが感じている「罪」は、親(または「世間」)が罪だと見なすものですが、その「罪」を「犯させる」原因が親の側にあるということです。

クライエントさんにとっては、親を避けたい、親が嫌だと思うほど、親の言動が辛いのですから。


親は、クライエントさんにこういうことを繰り返し言っています。

「親にそんなひどいことを言う(する)なんて!」

「なんでちゃんと連絡くれないの!」

「私は一人でこんなに寂しいのに」


クライエントさんの罪悪感が完全に消える唯一の方法が、親が子ども(クライエントさん)に感謝したり、「あなたは十分」だと認めることですが、これは残念ながら叶わぬ幻想であることが多いです。


カウンセリングをしていくと、クライエントさんは、自分がそこまで悪いわけではないとか、自分はそこそこ十分頑張っていると思えるようになります。

しかしクライエントさんにとって苦しく難しいのが、それを心から完全には思えないこと。親が自分に無関係な存在ではないからです。

親と、また親が出すメッセージと、完全に境界をとることが、とても難しい。

ある程度はできるようになります。あまり会わないようにする、連絡を控える、一人で会わないなど。

でもそれだけでは、罪の感覚から100%解放されることはありません。


そのことを突き詰めていくと、いろいろな感情があります。


親が、私のことを大切に思ってくれていない、私の気持ちを考えようとしてくれていないと感じることでの、哀しさ、怒り、寂しさ…

あまりに一方的な親の態度への怒り、苦しさ…

だから、何とかして、ほんの少しでもいいから、わかってもらいたい、受け止めてもらいたいという苦しいほどの欲求。ただ、「あなたはそうなのね」と言ってくれるだけでいいのに…

こういうことを考え続けていくと、親がこんな人物なのだということが哀しく思えてくる…。

そして、ただただそのままを認めてもらえなかった、まるごと愛してもらえなかったという気持ちが、自分を恥だと思う気持ちへと広がっていく…




先のブログで、

親から離れたい、苦しみから逃れたいという気持ちと、

離れたいと思ってしまう自分への罪悪感。

この二つを分ける、と書きました。


カウンセリングでは、クライエントさんは、この二つの気持ちの間で大きく揺れ動きます。

それで、今、クライエントさんの中で、どっちの気持ちが大きくなっているか、ということを一緒に見ていきます。

こういう作業を通して、自分の中の気持ちを分ける、ということをおこないます。


さらに、罪悪感によって生まれる感情もじっくり見ていきます。

クライエントさんは、自分を容赦なく責めるのですが、その責める気持ちと、責められて苦しいほうの気持ちをわけます。

責めるほうの気持ちには、親とのつながりへの思いや、社会性や協調性があるはずです。

一方、責められて苦しいほうの気持ちをしっかり大切にしていくと、先に述べたように、大きな悲哀、満たされず、得られない心の大きな穴があると思います。


カウンセリングでは、これらの複雑で、揺れ動くたくさんの気持ち一つひとつを、じっくり、しっかり、丁寧に扱っていきたいと思うのです(だからちょっと時間がかかることが多いです)。

そして、この大きな穴をどんなふうにするか、カウンセリングで一緒に取り組んでいきたいと思うのです。


こういうプロセスを経て、もともとの罪悪感を、自分で扱えるぐらいのものに収めていけるようになることを目指します。