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心理療法における「非暴力」について考える➂

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心理療法における非暴力の実践についての、三つの層の二つ目について。 前回、善良な形に見えるけれど、そこに「支配とコントロール」が存在する場合について書きました。 善良な形をとって現れる支配とコントロールは、クライエントさんにとってだけでなく、セラピストも気づけないままに起こってしまう性質があります。 心理療法がおこなわれている場に持ち込まれてしまう「支配とコントロール」はなぜ起きるのか。 これを、三つの層の二つ目として取り上げたいと思います。 暑いですね~ 実はそもそも、心理療法自体が「支配とコントロール」の性質を帯びていると言わざるをえません。 心理療法(精神療法)は、学問領域の中では歴史が浅く、150年ほどしかありません。 その歴史の中で、今となっては否定されていることが、当時は効果があるもの、必要なもの、良いこととして行われていたという過ちを抱えてきた学問です。 障害者安楽死、精神科病院における非人道的な処遇、ロボトミー手術、性マイノリティへの矯正治療…。 このような暴力、非人道的なものだけでなく、心理療法の行われ方やクラエイント―セラピストの関係も、現在では法的、あるいは倫理的に問題となるようなことが、問題視されることなく行われていました。 これらは、「良いことだ」「効果がある」「問題ではない」という認識や無意識によって行われてきたのです。 これが起きてしまいがちな背景について、2つ取り上げたいと思います。 1つは、社会の構造自体が「支配とコントロール」であるということ。 社会の中で、より力(権力)を持っている人と、そうではない人が存在します。 もう1つは、教育(学び)に「支配とコントロール」が前提となっていることがたくさんあること。 その中に浸ってきた私たちは、刷り込みが日々積み重ねられて、いつのまに気づかずに、「支配やコントロール」をしてしまったり、逆に「支配やコントロール」されていたりします。 心理療法を行っているところで、クライエントさんとセラピストの間でおきる「支配とコントロール」は、私たちの背後にある社会の「支配とコントロール」がそのまま持ち込まれてしまいます。 前回記事で書いたような、クライエントとセラピスト間でおきる力関係だけでなく、その背後も視野に入れる、 社会における力関係が、セッションの場でどんなふうに現われるかにも注意を向けていく、 ...