自由な感情⇔止まってしまう感情②

前回からの続きです。


こんなふうに「自分」「私」という監督官と感情との間で起こる動きや流れが、ときに緊張をもたらし、監督官に打撃を与えてしまうことにもなるようなとき、

助っ人を読んでみましょう!


人間関係でも、仲良しでラブラブなときは二人きりでいたいものですが、不穏な雰囲気のときは、居心地が悪くなってきます。

相手と正面から向き合うのはキツイ。

関係が危機的なのに逃げることもできないときに有効なのは、第三者!

「身体(感覚)」にご登場いただきましょう。


その気持ちが起こっている時、

あるいは、そのことを考えていると、

身体にはどんなことが起きているのでしょう?


こんなふうにして身体に登場してもらいます。


身体は、

「お腹が痛い」とか「胸がドキドキする」などのように、生理的な感覚として、

「喉がつまる」「肩に重しが乗ってるように重い」のように、生理的な表現があるイメージとして、

あるいは「胸のモヤモヤが煙のように充満している」「身体に丸い玉があって冷たい」のように、イメージそのものとして体験されることもあります。


身体に登場してもらうと、感情によって圧倒されそうだったり、批判されて苦しく逃げたくなっている監督官は、不思議と落ち着きを取り戻します。

まるで、身体の登場によって逃げ場ができたような。


今、身体はどんなふうだろう?と観ていってあげると、

身体に起こっているいろいろなことをメッセージとして受け取っていけるようになり、

そうすると、「感情」はそのパワフルさを自然とトーンダウンして、待っていてくれるようです。

しだいに監督官は落ち着きを取り戻し、自分のペースでいられるようになります。



こうやって、

「感情」から「身体」へ注意をシフトしていくこと、

そして、注意をシフトしていったことで、観察力を維持できている「自分」「私」。

これが「主体性」。

(やっとテーマである「主体性」の言葉が出てきました!💦)



そして大事なことがもう一つ。

この「自分」「私」は、いつも身体を観ながら落ち着いていられていることによって「自分」「私」でいられているのではなく、

感情に圧倒されそうになったり、感情をスルーしようとしていても、

そのたびに気づいて、

「身体はどうかな~」と観ていく。

ただただ、この繰り返しをするのでOKなのです。


そう。カンペキな監督になんてなれないし、なる必要はないのです~!

だって、全勝の監督なんていませんよね。


目をかけ、目をむけてみて、気づいたら、気づいたときに修正する、方向転換する。

そういう過程を続けていくのでOKなのです。 



※この記事はセンサリー・モーター・サイコセラピーもアプローチも加味しつつ、AEDP™セラピーの理論に基づいて記述しています。