「長生きしたくない」

「長く生きたいと思わないんです」

クライエントさんからこういう言葉を聞くことがあります。

死にたいというわけではない、
生きたくないというわけでもない。

長生きしたくない。


クライエントさんが、今、どれほどヘトヘトなのかが伝わってきます。

疲弊しているというだけでなく、孤独な労苦を背負っていることも。

選択肢がない
助けがない
逃げることができない
どうしようもない

そして、そんな自分に誰も気づいていない。


自分の中のこの重さ
この孤独感に、
誰も気づいていないこと、
気づこうともしないこと。

孤独感がますます深まる。


やるべきことだとわかってるから、ちゃんとやるし(逃げられないし)
これまで通りに生きてはいく(選択肢はないし)
しんどくてもやるしかない(他の誰もやらないし)

わかってる。
でもこれがいつまでも続くと思うと、
それは考えたくないくらい重い。

「不幸」まではいかないかもしれないけど、
楽しみや喜び
安心と安堵感
そういうことが見えない。


「長生きしたくない」の言葉から、
こんなふうな思いが語られます。
どれほどの苦しみや孤独感があるかが伝わってきます。


こういうことに、カウンセラーは無力だな…と思います。
立場や関係上、一緒に手伝ってあげたり、お茶しにいったりというようなことはできませんから。



カウンセリングの空間とは、クライエントさんの心の場所でもあると思っています。
その場所の土台は私が用意しましたが、建物は一緒に作り上げ、
建物を探検したり、作り直したり、飾ったり、片付けたりしながら、
自分の「居場所」をつくる。
カウンセリングはそういう作業のイメージがあります。


「長生きしたくないんです」
私も一緒にいるその建物の中で、その言葉を響かせて、
響きの余韻を一緒に感じる。

その言葉の音が、建物の中で反射し、
私にあたって反射し、
どんなふうに響きが変わるか、

この繊細な変化を大切にしたい空間なのです。