沈む気持ちの、その後ろにあるもの
なんだか落ち込むなぁとか、気分が沈む…というとき、自分の中にある「恥」の感覚がムクムクと顔を出しているのを感じます。
ふと思いたって、これまでの「恥」にまつわる体験を、一つひとつ思い返してみました。
でるわ、でるわ。
なかなかキツイ作業です(苦笑)。
それで整理してみると、こんな感じかなと思いました。
読んでくださっているみなさんも、大小・多少や深刻さの違いはあれど、おそらく、すべて経験したことがあるのではないでしょうか。
「意図的な経験」のほうは、されたことについての記憶がはっきりしていることが多いと思います。
その痛みは明確ですが、でも逆に、明確であるために、反発したり抵抗する力も生みやすいものです。
一方、「無意識的な経験」のほうは、姿かたちが見えないし、「良かれと思って」とか「悪気はないのだから」、「それが普通だし」と行われるので、受けた傷に無自覚であることが多いと思います。
またその痛みは明確ではなく、ちょっとしたすり傷のような感じだったり、何となくの違和感だったり、場合によっては、相手や自分の状況への感謝の気持ちや、「頑張ろう!」という”向上心”として感じたりするかもしれません。
そうやって積み重なったものに気が付くこと自体に、大きなエネルギーを必要とするような、そういう経験です。
そして、こういう「恥」の経験は、一つひとつのエピソードとして記憶されているだけでなく、変換されて心に残ります。
その変換されたものは、「自分を全否定する感じ」。
自分の無価値さを感じることや、存在する意味、生きる意欲をそぐような感じ。
この自己否定や無価値感が大きくなると、抑うつ的な状態になったり、身体症状が現れたり、誰とも会いたくなくなったり、
そして、自分を傷つけたい気持ちが強くなったり、死んでしまいたいという苦しさを感じたりします。
その気分のうしろに、いろいろな恥の体験と恥の感情があり、それが今のその辛い感じや感覚に影響を及ぼしている、
そういうことは多くみられます。
こんな辛くて苦しい気持ちをどう扱えばよいか…。
長くなりましたので次回へ。