「老後とピアノ」と私、そしてカウンセリング
数年前にピアノを始めた私は、「老後とピアノ」のタイトルを見て、「これは読まなければ!」と思っていました。まさに私のために書かれた本ではないですか!
そして読みました。とっても楽しく!
53歳のとき、執筆依頼をきっかけに、40数年ぶりにピアノを始めた著者の、ピアノへの熱中と悪戦苦闘ぶりに、クスリと笑ったり、共感しまくり。
そして、深く深く心に響いてきました。
この本のタイトル、「老後のピアノ」でも、「老後にピアノ」でもない。「老後とピアノ」。
そう、この本は、ピアノを通して、どう生きるかということが書かれてあったのです。
この本に書かれている、私が心を動かされた文章をご紹介したいと思います。
著者は、間違えないように緊張感を保って練習しまくり、それでも上達しないのでさらに練習しまくっていました(ホントにすごい練習量です!)。
でも手に痛みが出て練習ができなくなってしまったときに、ある本に出会いました。その本には、筋肉の緊張が痛みや故障へと発展すると書いていました。そして気づいたのです。
私が私の体をきちんと使うことができたなら、そう自分の体を否定せず、ちゃんと見つめて、認めて、いたわり、きちんと解放してやれば、そこにこそ私の演奏のゴールがあるってこと?誰かの真似をしたり、目指したりする必要なんてないってこと…?
私たちは誰でも、「こうありたい」と思う自分があります。希望や願望、理想、夢、あるいは、「こうあるべし」というような規範も。
こうだったらよかったのに。
でも違う自分。
私もあります。こうだったらよかったなぁ…と思わずにはいられない、性格や状況など…。
ピアノはまさにその一つ。
小さいころに習える状況になかった。それはしょうがない。
でも小さいころから音楽が身近な中でいられてたら、こんなふうに思うように動かない手を前に、自分にがっかりすることもなかったのにーー-!と思いますよ、自分のヘタクソなピアノの音を聴いて。哀しい限りです。
でもそうじゃなくて、自分(の体)をちゃんと見てあげて、ちゃんと使うことができたら。そうしたら、それは「自分の」ゴールに向かうことになるのではないか…
そうしてピアノの発表会に臨んだ著者は、同じように悪戦苦闘する他の人の演奏を聴きながら深く心を動かされました。
全力で、心を込めて、勇気を出して、どんなひどい失敗をしてもどうにかして最後まで真剣に弾き切ろうとして出す音は、どうやったって聴く人の心をひどく打つのではないだろうか。
私がカウンセリングをしていていつも心を打たれるのは、まさにこれです。
クライエントさんの、心からの声。勇気。なんとか進もうとする力。
いつまでたっても「美しく」弾ける日にはたどり着けそうにないのではないかという疑惑の中で、著者はこんなふうに書いていました。
なぜ「どこかへ行こう」とするのか。そうなのだ、もっと先、もっと先へと行こうとするから美しさからどんどん離れていってしまうのである。(略)今、この場所を、この瞬間を楽しめば良いではないか!
練習とは「自分を掘り起こすこと」だったのだ。硬く自分を覆っていたコンクリート、つまりは見栄とか、世間体とか、こうじゃなきゃいけないという思い込みとか、そういう硬い覆いを柔らかく掘り起こし、その下に眠っていた一見平凡な、でも世界に一つしかない「石コロ」を取り出す作業が「練習」だったんじゃないだろうか?
そうか。これでよかったのだ。
カウンセリングも、「自分を掘り起こすこと」だなぁと思います。
硬い覆いのその下にある、「石コロ」に見えるようなもの
それはただの石コロなんかじゃありません。
だって世界に一つしかないのです。
それは、今、この場所で、自分のからだ、自分自身の内側を感じていくことで見つけていけるもの。
そしてこれは、私自身にも響く文なのです。
一人の人としての私へ。
そして、心理士として、自分にがっかりしながらも、それでも「もっともっとよいカウンセリングを提供できるようになりたい」と思い続けずにはいられない私への。