私のなかの『わたし』と出会う
カウンセリングは、クライエントさんと私(セラピスト)の二人で行うものです。
でもそこに、私は、もう一人連れて来たい「人」がいます。
それは、クライエントさんの中のクライエントさん。クライエントさんの「わたし」とか「自分」という感じを感じる部分です。(記述すると長いのでここでは短く『わたし』と書きますね)。
その『わたし』は、クライエントさんの心のうちにあります。
クライエントさんがカウンセリングに来るとき、クライエントさんは、自分の心の中にあるその『わたし』の存在を知っている場合も、知らない場合もあります。
『わたし』はいるって感じている場合でも、その『わたし』のことをよくよく知らないことは多いかもしれません。
『わたし』はどの人の心の内側にもいるイメージが私にはあります。
そして私がカウンセリングで行いたいこと、とても大切にしたいこと、カウンセリングで目指していることは、クライエントさんが『わたし』と仲良くなることなのです。
『わたし』にとっての一番の親友がクライエントさんになったらいいな~という思いがあります。
でもそれはなんだかよくわかりにくいことかもしれません。
「私は私で、私の中の『わたし』も私です」
こんなふうな言い方をされる人はいませんが、
自分の内側に目を向けていくということがよくわからない、イメージできないし、ピンとこないというのは、ある意味とっても普通でよくあることです。
なぜなら、『わたし』はたいてい、心の奥深くに、ひっそりと隠れていて、クライエントさんにさえその存在を感じさせないようにしていることもあります。
『わたし』は危機探知がバツグンに良くて、ぜったい大丈夫!と感じられない限りは、その存在を見せてくれることはありません。
だけど『わたし』は、ずっと待っているのです。
誰かに気づいてもらうこと。
一緒にいてもらうこと。
思いを知ってもらうこと、聞いてもらうこと。
だから私(セラピスト)は、クライエントさんが私にいろいろとお話してくれることを大切にしたいと思いつつも、そこにクライエントさんの『わたし』がいるのかをとても気にしています。
『わたし』が一緒に会話に参加していないように感じるときは、クライエントさんにちょっとだけ待ってもらいたい…。
そして『わたし』を二人で一緒に迎えたいのです。
「どうぞいらっしゃい」
「ずっと待ってたよ」って。
私(セラピスト)も、クライエントさんの『わたし』と仲良くしたいのです。
そうしてカウンセリングの場で、クライエントさんと、『わたし』と私(セラピスト)の三人が一緒にいられたら、そこから新しい物語が始まるように思います。