「自己主張」という花を咲かせるには

周囲の人の顔色をうかがって生きている人にとって、自己主張するのはとても難しいことです。

周囲の顔色をうかがうようになったのは、いろいろな背景が考えられます。

幼少期から、大人にわかりやすい態度で喜怒哀楽などを示すタイプではなかった。
周囲の環境が緊張感に満ちていた。
たまに主張してみても、否定的な反応をされ、主張を引っ込めるしかなかった。
自分のペースに合わせてしっかりと応対してくれる経験が少なかった。
などなど…。

それを経験しているのが子どもであっても、大人であっても、その関係は対等ではなく、一方的なものです。
相互の違いを感じながら、でも相互に尊重するという、対等な関係ではありません。
こういう関係の中にいることで、「主張」をこころの奥底に閉じ込め、蓋をして、地中深くに埋めて、長い間放置してきました。
もうそれがあったことさえ忘れてしまうぐらいに。


このようなクライエントさんが、やっとの思いでできる『自己主張』は、欲求を表す言葉ではなく、要望の形をとることが多くあります。

例えば、夫から長い間、バカにされたり、きついことを言われたりしてきた女性は、夫に対して反抗や反論ができないことが多くみられます。
対等な夫婦喧嘩ならば、こんなふうに言い返したりするでしょう。
「そういうあなたは何様!?」
「で?何が言いたいわけ?」
でも言い返したら100倍になって返ってくるという恐怖感とともに、自分に問題があるのかもしれないという不安が襲ってくる。
だから、辛くて苦しいけれど、何もできずに耐える。そんな人がどれほど多いか…。

自分は嫌なんだ、傷ついているんだ、ということを感じられるようになっても、ようやく言える言葉が、「そんなふうに言わないでほしい」という要望が精一杯だったりすることがよくあります。
頑張って、勇気を振り絞って主張した気持ちなのですが、でもこれは明確な自己主張ではありません。
だからやっとの思いで言ったけれどスッキリしないままですし、たいていは相手に受け止められなかったり、逆ギレされたりして、「自己主張すべきではなかった」と、自己嫌悪に陥ってしまいます。


相手へのお願いの形をとるような要望ではなく、ホンモノの自己主張は、「私」という土壌をベースにして咲く花のようなもの。
その土壌は、「感情」という肥料がたっぷり必要です。
「私は」怒っている。
「私は」嫌だ。
「私は」十分やっている!


カウンセリングでは、肥料たっぷりの土壌をしっかりと耕す作業をします。
そうして、「自己主張」という花を咲かせていくのです。
その「自己主張」は、土の中に埋まったままだった、あの「自己主張」。
どの人も、箱の中で、そのままの姿で活き活きと残っています。
自己主張の花が咲くと、土はさらにフカフカに。
そうして、自然のサイクルが巡っていきます。