「わたし」というプリズムを光らせる
私はこんな人物です、ということを表現しようとすると、自分にはたくさんの側面があることに気づきませんか?
そのたくさんの側面は、プリズムのようで、当て方によって違って光る…
でも、一つの方向からの光の印象が強烈に残り、動かずに心に残っていることもあります。
私にとっては、「頑固だ」という言葉です。
まぁ、確かに、私は「頑固」です(汗)。
これが、ネガティブな側面として私の中にずっとこびりついてきました。
これは自分で語ってきたものではなく、周囲から言われたものです。
その発言に良いニュアンスがないことは明らかで、私はそのニュアンスが自分そのものだとして引き受けてきていました。
でもそうじゃないんだ、と、気づきました。
私は自分の考えや意思がはっきりしているほうで、場合によっては柔軟性に乏しいところがあるのだと思います。
でも「頑固な人」という表現にこめられていたのは、言った方にとって、私がその人の思うようではなかったということです。
つまり頑固なのはその人の方のはず!!!
外国に行けば、私の頑固なんて、ホントかわいいもんですよ~。
外国で過ごしたり、日本以外の人とコミュニケーションをとることで目が開かれました!
こういうような、「あなたは〇〇だね」という言い方をする人に時々会うことがあります。
客観的な表現をしているようでありながら、あるいは、冗談のような雰囲気をまといながら、実は他者を非難したり卑下したりするこのような発言の仕方には注意が必要!
この発言は、プリズムの光ではなく、まるでレーザーのよう。グサッと入ってきて、プリズムの動きを止めてしまうパワーを持っています。
私はこのことに気付いて以来、この類いの言葉も、こういう発言をする人との関係も、自分の中に入れないようにしています。
一方で、言われてとても納得というか、うれしかった言葉を受け取ったことがありました。
「直感の人」という言葉です。
これを言われたとき、「うん、確かに!」と、ものすご~く納得したのですが、言葉がスッと私の中に入ってきたのは、そこに非難も評価も感じなかったからだと思います。
むしろ興味深い側面として見てくれた温かさがありました。私のプリズムの中で、当たってなかったところに光を当ててくれたのです。
この違いはなんでしょう?
私は、「温かさ」「愛」「優しさ」を感じられたかどうか、にあると思います。
そうじゃないとき。もや~っとしたり、落ち込んだり、悲しくなったり、情けない感じになったりしたときは、その言葉とその発話者から向けられたのは、評価や非難なのだろうと思います。
カウンセリングでは、プリズムをいろいろと動かしてみて、キラキラと光らせたい。
たくさんの側面があって、その豊かさがキラキラ光る体験を。