心に残る人

味噌の仕込みシーズン。

今年は例年よりちょっと早く仕込み終えました。

味噌づくりは一日仕事、体力仕事。味噌に限らず、「作業」はセラピューティックな性質を持っていますので、日常の中に、生活の中に、ときどき作業する時間を入れるのは役立つと思います。

味噌作りについては、大豆をつぶす、麹に塩を混ぜていく、材料全部をグイグイこねていく、そしてエイヤッと容器に叩きつける(空気を抜くためです)。こういう手ざわりや動きがなかなか良いのです。


こうやって作業している間に、ふと思い巡らせたり、考えたりしていました。

一つは、去年亡くなった人のことでした。

数年にわたる闘病が続いていて、長くお目にかかっていませんでしたが、ある日ふと、「どうされてるかな…」と思い出しました。その日に亡くなったのだと、後から聞きました。他にも同じような体験をした人がいて、どうやらいろんな人に挨拶して去っていったようです。


私はこの方と親しくしていたわけではないのですが、不思議と心に残っている人でした。

まだお元気だったころ、個人的に困ったことが起き、相談する人としてこの方が真っ先に浮かびました。同じ立場で、同じような経験をされてきているのは知っていましたが、それだけではなく、ちゃんと話を聞いてくれ、私に必要なことを言ってくれるだろうという信頼がありました。そして、その人の話が、本当に役立ち、助かりました。

難しいテーマだったのですが、自分なりに考えたことや、すべきことをできたと思えたのは、この時間のおかげでした。

この方のお話、真摯に対応してくれたこと、それが私の心にずっと残っているのです。



こういう人、こういう出逢いってありませんか。

親しい関係だったわけではないけれど、あるいは、人生のある一時であったにも関わらず、自分の中に確かに残っている記憶。

その時には大きく心を揺さぶられることではなかったのに、ずっと心に残る言葉や表情。

心のある位置にずっとあって、いつも思い出したり考えたりはしないけれど、静かに確かに存在する人。

心の中のその思い出にゆっくりと目を向けると、びっくりするぐらい大きくて、それが自分の支えの一つであったと気づくような。


そこには、その人と自分の、何か特別なつながりがあるのだと思います。

このつながりの感覚。

普段は感じないようなものでも、誰の心にもあるのではないか…と、クライエントさんとカウンセリングを進めているときも感じます。

愛情やケアが十分に与えられなかったり感じられない中でも、クライエントさんを温かく見ていた目があったという記憶。

カウンセリングの中で、それが鮮やかによみがえってくることは少なくありません。


こういう記憶、そして記憶にまつわる感情は、誰かと共有することで、また一層深まったり、一層確かなものになっていくように思います。

先日、この方の「お別れ会」があって、それに参加して、私の中の記憶が鮮やかに、大きくなり、改めて私の心にしっかりと根付いたのを感じました。

私が今これを書いているのも、この方との「つながり」の記憶と感覚が私の心にさらに根を広げていくことになると思います。


カウンセリングでもこういうプロセスを大切にするようにしています。



最後にもう一つ。

自分にそういう人がいるというのは、自分もきっと、誰かのそういう人である、ということを書きたいと思います。

あなたの中に、誰かの存在が確かにあるなら、あなたは人とのつながりの中にいるということ。

だから、あなたも、誰かの心の中に存在しているのです。

あなたは知らなくても。