顔や姿を失った二つの物語~「青年期失顔症」の朝葉と姿が見えないムーミンのニンニ

TikTokで紹介した本がベストセラーになる「けんご」さんについての新聞記事で、けんごさんが「青春ゲシュタルト崩壊」(丸井とまと作)をおススメしていて、興味をもち読んでみました。この本は第5回野いちご大賞受賞作だそうです。

こんなお話です。


高校2年生の朝葉は、部活の人間関係のストレスが頂点になったとき、自分の顔が見えなくなる「青年期失顔症」になってしまう。朝葉はこれまでずっと、どんなことも頑張り、我慢し、飲み込んで生きてきました。周りの顔色をうかがい、嫌われないよう周りに合わせて。

「青年期失顔症」になったと知られることは、これまでの言動は本心ではなかったということが知られてしまうことになる。これまで必死に保とうとしてきた生活や人間関係が崩れることになるので、朝葉は必死に隠そうとします。

朝葉は、学校という「狭い水槽のなかで、溺れないように必死に泳いで生きて」いて、「同じであることが正しいって思い込んで、(噂話や悪口は毒だとわかってても)必要であれば食べてしまって」いたのです。

そんな中、「青年期失顔症」で倒れた朝葉を助けた同級生の聖と過ごすうちに、本当にやりたいことを見つけ、本当に言いたいことをきちんと言葉にする、ということが少しずつできるようになって―――


※「青年期失顔症」は小説の中の架空の病気で、実際はありません。



姿が見えなくなる、というお話で思い出すのは、ムーミンのニンニです。

一緒に暮らすおばさんの辛辣な言葉によって、ニンニの心はむしばまれ、自分に自信をなくし、心を閉ざしていきました。ニンニはそうして他の人から姿が見えなくなってしまったのです。


この二つのお話が違うところは、朝葉は自分が見えなくなる一方、ニンニは他の人から見えなくなる、というところです。

ニンニが透明になったのは、他の人から攻撃を受けてきたから。そして結果的に、透明になることは自分の身を守ることにもなっている。

朝葉が自分の顔が見えなくなったのは、周囲に合わせるあまり、自分を見失っていったから。


二つのお話に共通するところもあります。

それは、その人をそのまま受け止めそばにいてくれる存在がいたこと。その人との関係の中で、姿や顔が見えるようになってきたことです。

朝葉には聖。「…うれしいこともつらいことも、打ち明けられる相手がいるかどうかが重要なのよね」。

ニンニには愛情たっぷりに関わってくれたムーミンママ。


朝葉は、聖がもたらしてくれた「外」の世界に触れるうちに、自分が好きなこと、自分の気持ち、自分の考え、そういったこと一つひとつを確かめていくなかで、言うべきことを、言うべき人に、しっかりと言う、ということができるようになっていきます。そして、愛を伝えるということもできたときに、顔が見えるようになってきます。

ニンニは、ムーミンママを助ける!という愛を発揮したときに、姿を取り戻します。

人を思う愛の力!

二人とも自分の内側にあるその大きな思いがきちんと現れて、顔・姿が戻るのです。



最後に、これらのお話とカウンセリングについて…。

私が行っているAEDP™セラピーは、カウンセラー(私)がクライエントさんの「確かな存在」になるよう努めていきます。そしてクライエントさんの内にすでにある「力」に注目し、それをクライエントさんと一緒に育てていきます。

カウンセリングですから、このお話のように日常の中でではありませんが、セッションの時間の中でそれを積み重ねます。そして、その力を十分発揮する体験を促していきます。


朝葉もニンニも、お話の中で、少しずつ変化していったように、カウンセリングも、一度に変化するものではありませんが、着実に進んでいきたい、と思っています。


「青春ゲシュタルト崩壊」を読んで、学校という狭い世界で生きる選択肢しかないと思わされる社会の中で、こんなふうに辛い思いをしている子たちがたくさんいるんだろうと思うと、大人として胸が痛くなりました。

そして、人とのつながり、つながりがもっている愛の力、これって本当に大きいし、大切だなぁ…と思いました。