どこでもいい、逃げる場所があるなら、そこへ逃げよう

西原理恵子さんが連載している「りえさん手帖」第196回(毎日新聞2021年7月26日朝刊)に、こういうコマがありました。


「小学校の休み時間は(意地悪の)標的にされないようにいつも図書室に逃げてた。たくさんの絵本が私を救ってくれた」

※括弧内は私が補足したものです。


2020東京オリンピック開会式のドタバタの中で、いじめ問題がありました。そのいじめ行為の中に、図書室ですごす子どもを揶揄する表現があり、とても胸が痛んでいました。

私も、図書室を心のよりどころにしていた時期があったからです。


西原理恵子さんのマンガは、そのすぐ後に掲載されていました。


大人になって、今、はっきりと思うし、断言できるのは、

「そこがまだ少しでも安全だと感じられるなら、そこに逃げていい!」

図書館でも。保健室でも。校庭の片隅でも。


それは、自分が自分のために、自分を少しでも守るためにとっている行動。


「自分が楽に生きられる場所を求めたからといって、後ろめたく思う必要はありませんよ。サボテンは水の中に生える必要はないし、蓮の花は空中では咲かない。シロクマがハワイより北極で生きるほうを選んだからといって、だれがシロクマを責めますか。」

(『西の魔女が死んだ』梨木果歩、新潮文庫)



いじめられた経験がある人は少なくないと思います。

カウンセリングのなかでも、過去のいじめ体験のお話が出ることがあります。

話しているなかで、それが今のクライエントさんに影響していることも浮かび上がってきます。


カウンセリングの中では、その過去の体験についてのワークをすることがあります。

ワークで大切なのは、

その時は、助けがなかったり、

一人だったり、

何もできずに耐えるしかなかったり、

そういう出来事だったかもしれない。

でも、カウンセリングの中では、今、ここでは、その痛みを抱えているクライエントさんを一人にはしない。

そうやって、痛みだけの記憶を、違うものに書きかえる、というワークができます。

過去を変えることはできない。

でも、苦しんでいる今の自分を変えることは、不可能ではない。

それが、カウンセリングで、カウンセラーと一緒におこなうものです。